一志郡家跡(読み)いちしぐんけあと

日本歴史地名大系 「一志郡家跡」の解説

一志郡家跡
いちしぐんけあと

一志郡の郡家(郡衙)は現在の宮古(みやこ)、一志のいずれかにあったものと考えられている。宮古説は郡家にあった市神を祀ったという郡市(こおりいち)神社が所在したこと、および「五鈴遺響」にいうように、宮古が都を意味し、さらに屯倉の転訛であるとされること、一志説は同地の小字に郡一(こおりいち)があること、および郡名と同一の地名であることによる。両地ともに「和名抄」に記される八太(はちた)郷ないしは小川(おがわ)郷に属すると考えられる。「続日本紀」天平一二年(七四〇)一一月一二日条は藤原広嗣の乱で伊勢に行幸した聖武天皇が「壱志郡」に宿したと記すが、一志郡家をさすものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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