朝日日本歴史人物事典 「一条高能」の解説
一条高能
生年:安元2(1176)
鎌倉前期の公卿。藤原北家頼宗の子孫の一条能保と源義朝の娘(頼朝の同母妹)との嫡男。源頼朝の後援により若くして官界に出身,建久7(1196)年12月には参議に列した。この間,鎌倉に長期逗留して頼朝夫妻と親しく交わり,一時は夫妻の娘大姫の夫に擬せられたともいい,また大姫入内のための対朝廷交渉にも関与したらしい。特に建久8年10月父能保の没後は,公武交渉の要に位置したが翌年23歳で早世。ここに幕府の朝務介入ルートが途絶,さらに正治1(1199)年頼朝の死を契機とする政変により一条家系の人々は宮廷を追われた。
(杉橋隆夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報