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一条高能 いちじょう たかよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一条高能 いちじょう-たかよし

1176-1198 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
安元2年生まれ。一条能保(よしやす)の長男。母は源頼朝の妹。伯父頼朝の後盾により,左馬頭(さまのかみ),右兵衛督(うひょうえのかみ)をへて,建久7年後鳥羽(ごとば)天皇の蔵人頭(くろうどのとう)となる。同年参議,8年従三位にすすむ。幕府と朝廷との仲介をする立場にあったが,父の没後1年足らずして,建久9年9月17日死去した。23歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

一条高能

没年:建久9.9.17(1198.10.19)
生年:安元2(1176)
鎌倉前期の公卿。藤原北家頼宗の子孫の一条能保と源義朝の娘(頼朝の同母妹)との嫡男。源頼朝の後援により若くして官界に出身,建久7(1196)年12月には参議に列した。この間,鎌倉に長期逗留して頼朝夫妻と親しく交わり,一時は夫妻の娘大姫の夫に擬せられたともいい,また大姫入内のための対朝廷交渉にも関与したらしい。特に建久8年10月父能保の没後は,公武交渉の要に位置したが翌年23歳で早世。ここに幕府の朝務介入ルートが途絶,さらに正治1(1199)年頼朝の死を契機とする政変により一条家系の人々は宮廷を追われた。

(杉橋隆夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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