20世紀日本人名事典 「一柳満喜子」の解説 一柳 満喜子ヒトツヤナギ マキコ 大正・昭和期の教育者 近江兄弟社学園創立者;近江兄弟社会長。 生年明治17(1884)年3月18日 没年昭和44(1969)年9月7日 出生地東京 出身地滋賀県近江八幡市 学歴〔年〕東京女高師附属高女,神戸女学院,ブリンマー女子大学卒 経歴父は旧小野藩主の一柳末徳。明治43年G.A.ジョンストンによって受洗。35歳で帰国、近江兄弟社を設立し伝道活動を行っていたW.M.ヴォーリズ(一柳米来留)と大正8年に結婚、滋賀県近江八幡に住む。11年清友園幼稚園を設立、のちに近江兄弟社学園へと発展する。戦時中は軽井沢に疎開。戦後は近江八幡に戻り、近江兄弟社と同学園のために尽し、生涯を教育を通して伝道に捧げた。著書に「教育随想」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一柳満喜子」の解説 一柳満喜子 ひとつやなぎ-まきこ 1884-1969 大正-昭和時代の教育者。明治17年3月18日生まれ。一柳末徳(すえのり)の3女。アメリカのプリンマー女子大を卒業後,受洗。大正8年近江兄弟社の創立者ウィリアム=メレル=ボーリーズ(のち一柳米来留(めれる))と結婚し,滋賀県八幡町にすむ。11年清友園幼稚園をつくり,昭和26年近江兄弟社学園を創立した。昭和44年9月7日死去。85歳。東京出身。神戸女学院卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by