朝日日本歴史人物事典 「一柳直末」の解説
一柳直末
生年:天文22(1553)
安土桃山時代の武将。美濃(岐阜県)土岐氏の臣一柳直高の長男。通称市介,伊豆守。初名は末安。元亀1(1570)年豊臣秀吉に仕え,知行25貫文。秀吉の播磨国平定に戦功をあげ黄幌衆に列す。兵糧奉行,普請奉行を務め,また天正11年の賤ケ岳の戦,同12年の小牧・長久手の戦,同13年の紀州雑賀攻め,四国征討に参加。同年9月美濃大垣城主2万5000石となり,従五位下,伊豆守に叙任。次いで美濃軽海城主5万石に転じたが,同18年の小田原攻めで伊豆山中城攻撃中に被弾して討死。直末戦死の報に接した秀吉は,愁嘆すること連日におよんだという。<参考文献>『一柳家記録』
(二木謙一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報