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川中島の戦 かわなかじまのたたかい

百科事典マイペディアの解説

川中島の戦【かわなかじまのたたかい】

甲斐の武田信玄越後上杉謙信が北信濃の争奪をめぐり,信濃国川中島で激突した戦い。交戦は,おもなものだけでも1553年,1555年,1557年,1561年,1564年の5回に及んだが,勝敗は決しなかった。
→関連項目車掛妻女山信濃国

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世界大百科事典 第2版の解説

かわなかじまのたたかい【川中島の戦】

戦国期に甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信とが,北信濃の領有をめぐって,信濃国水内郡川中島で1553年(天文22)から64年(永禄7)の長期にわたって,数度対戦した合戦の総称。まず武田信玄が信濃の旧族である小笠原氏や村上氏,高梨氏らを信濃に攻め,敗れた村上義清らが越後の長尾景虎(上杉謙信)に救援を求めたことから両者の戦いが始まった。 信玄は中南信地域を手中にし,北信からさらに越後をもねらっていた。謙信は,関東管領職に就任したことから頻繁に関東へ出兵していたが,北信への信玄の進出に直面し,それを阻止するために1553年に初めて信濃へ出兵し,両者の対戦が始まる。

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世界大百科事典内の川中島の戦の言及

【妻女山】より

…謙信も夜間すでに雨ノ宮から川中島に渡って布陣しており,夜明けとともに武田軍を攻撃した。世にいう川中島の戦である。この妻女山には二つの郭からなる簡単な構えがみえるが,さして要害とはいえず,また万余の人馬が駐留するには狭すぎる。…

【信濃国】より

…なお小県郡の一土豪であった真田氏は,武田氏被官となり武田氏の領土拡大に伴い,小戦国大名として成長した。 武田氏の信濃制圧は越後の上杉氏にとっても脅威となり,53年以降上杉謙信の信濃国出陣が開始され,武田信玄との数度にわたる川中島の戦がおこった。61年(永禄4)の甲越両軍の総力戦は互角とされるが,合戦後謙信の信濃における根拠は飯山城(飯山市)周辺のみとなり,北信の大部分も武田氏の支配となった。…

※「川中島の戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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