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一行花 いちぎょう はな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一行花 いちぎょう-はな

1724-1789 江戸時代中期の行者。
享保(きょうほう)9年生まれ。食行身禄(じきぎょう-みろく)の3女。14歳から武家の家ではたらく。30歳ごろ幕臣小笠原信安と結婚。夫の没後,富士講初代教主となり「花の咲く菩薩(ぼさつ)」としたわれた。寛政元年9月17日死去。66歳。江戸出身。名は此花(このはな)ともいう。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

一行花

没年:寛政1.9.17(1789.11.4)
生年:享保9(1724)
江戸中期の富士講初代教主。富士講身禄派の祖食 行身禄の3女,江戸生まれ。一行は行者名で,此花ともいう。9歳のときに父が富士山で入定,跡を継ぐ。14歳で武家奉公,30歳ごろに幕臣小笠原信安に嫁ぐ。明和3(1766)年花形浪江(のち伊藤参行)を弟子にする。安永4(1775)年の父の命日7月17日に参行を伴い,女人禁制を破って富士に登山,御室浅間に通夜する。身禄派を継いだ参行により,身禄は「実の生ずる菩薩」,花は「花の咲く菩薩」とされた。一身に常人の陰陽ふたり分を具有する女性として崇められた。遺文『食行直伝の同行に相渡す書』『一行一言』ほか,和讃,和歌があり,肖像画が残っている。<参考文献>岩科小一郎『富士講の歴史』

(浅野美和子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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