朝日日本歴史人物事典 「一行花」の解説
一行花
生年:享保9(1724)
江戸中期の富士講初代教主。富士講身禄派の祖食 行身禄の3女,江戸生まれ。一行は行者名で,此花ともいう。9歳のときに父が富士山で入定,跡を継ぐ。14歳で武家奉公,30歳ごろに幕臣小笠原信安に嫁ぐ。明和3(1766)年花形浪江(のち伊藤参行)を弟子にする。安永4(1775)年の父の命日7月17日に参行を伴い,女人禁制を破って富士に登山,御室浅間に通夜する。身禄派を継いだ参行により,身禄は「実の生ずる菩薩」,花は「花の咲く菩薩」とされた。一身に常人の陰陽ふたり分を具有する女性として崇められた。遺文『食行直伝の同行に相渡す書』『一行一言』ほか,和讃,和歌があり,肖像画が残っている。<参考文献>岩科小一郎『富士講の歴史』
(浅野美和子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報