日本大百科全書(ニッポニカ) 「食行身禄」の意味・わかりやすい解説
食行身禄
じきぎょうみろく
(1670―1733)
江戸中期の富士講の指導者。富士講身禄派の祖「元祖」と呼ばれる。通称伊藤伊兵衛、伊勢国一志(いちし)郡川上村に生れ、江戸に出て商人になり、油、呉服、薬、太物(ふともの)等多角経営をして成功する。富士行者月行忡(げつぎょうそうじゅう)の弟子になり1688年(元禄1)の初登山に、仙元大菩薩の神意を受け「振り替り」と「みろくの世の到来」を悟る。1721年(享保6)より『一字不説之巻(いちじふせつのまき)』の著作に着手、資産を使用人や親類に分け与え、油桶一荷の行商人になり、布教に専念した。1732年飢饉(ききん)のなかで富士山入定(にゅうじょう)を決意、翌年7月富士山にて断食(だんじき)入定。著書は『鳩ヶ谷市の古文書』(鳩ヶ谷市教育委員会)所収。
[岡田 博]
『岩科小一郎著『富士講の歴史』(1983・名著出版)』