丁未約条(読み)ていびやくじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丁未約条」の意味・わかりやすい解説

丁未約条
ていびやくじょう

1547年(天文16、朝鮮・明宗2)丁未の年、日本と朝鮮との間に結ばれた通交関係の条約。天文(てんぶん)条約ともいう。壬申(じんしん)約条締結以来、対馬(つしま)の宗(そう)氏はその約条を遵守してきたものの、1544年(天文13、中宗39)4月、倭船(わせん)20余隻が慶尚道蛇梁鎮(だりょうちん)の江口に突入し、朝鮮水軍の兵を殺傷する事件が起きた(甲辰(こうしん)の変)。そのため、朝鮮は日本国王(足利(あしかが)将軍)、大内(おおうち)氏、小弐(しょうに)氏の使者を除く日本人を接待することを断り、対馬と朝鮮との通交貿易は断絶した。そこで宗氏は歳遣(さいけん)船の復旧を企て、将軍足利義晴(よしはる)の斡旋(あっせん)を受け、47年に日本国王使僧安心(あんじん)を朝鮮に派遣させることができた。その結果、丁未約条が結ばれた。その内容は、宗氏の歳遣船25隻の復旧、浦所(ほしょ)を釜山(ふざん)浦一港に限定、50年以前の受図書・受職人の接待は許さずという内容であった。

[北島万次]

『中村栄孝著『日鮮関係史の研究 上』(1969・吉川弘文館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の丁未約条の言及

【歳遣船】より

… 1510年(永正7∥中宗5)の三浦(さんぽ)の乱によって,対馬と朝鮮との通交関係が断絶し,12年に至ってようやく修好が回復したが,宗氏の歳遣船は25隻に半減され,特送船の渡航はみとめられず,九州や中国地方の受図書人・受職人は再審査して数を減らされた(壬申約条)。44年(天文13∥中宗39)には甲辰蛇梁の変が起こり,ふたたび通交関係は断絶,47年(天文16∥明宗2)に丁未(ていび)約条が成立した。内容は対馬島主の歳遣船25隻はみとめるが,50年以前の名義の受図書人と受職人の通交はさしとめるというものであった。…

※「丁未約条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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