大阪市東淀川区にある地名。淀川と神崎川の分岐点に位置する交通の要衝で,平安京から山陽,南海,紀伊への重要基点でもあったから,朝廷の所領がこの地に設定された。平安時代後期の学者大江匡房の《遊女記》に〈山城国与渡の津より,巨川に浮かんで西行すること一日,之を河陽と謂ふ。(中略)流を分ちて河内国に向かふ。之を江口と謂ふ。蓋し,典薬寮味原の牧,掃部(かもん)寮大庭庄の地なり〉とあり,江口が典薬寮と掃部寮の差配する地であったことが知れる。江口の地が史上にその名を知られるのは,交通の要衝であることから生み出された遊興施設の存在であり,なかでも観音,中君,小馬,白女,主殿をはじめとする遊女が,小端舟と呼ばれる舟に乗って貴紳の招に応じたことは,当時の日記が多く物語る。住吉社や熊野等への参詣時における貴族と遊女の交流の中から,芸能や文学が生み出されており,《十訓抄》に〈江口の遊女妙は新古今の作者也〉とみえるのをはじめ,《梁塵秘抄口伝集》に〈其おり江口・神崎のあそび女ども今様を唱その声又かくべつなり。(中略)昔は江口・神崎の流と云て,いま江口・神崎に有所の伝来の今様ハ〉等とある。
こうした江口の繁栄も,神崎とともに鎌倉時代に入ると衰微しはじめ,南北朝時代にはもはや昔日の面影をみることはできなかったようで,1363年(正平18・貞治2),住吉社への参詣時にこの地を訪れた足利義詮(よしあきら)は,その衰亡に驚くとともに,〈惜みしもおしまぬ人も留らぬ仮のやどりと一夜ねましを〉と,荒れた江口の地を歌っている。謡曲《江口》は,こうした江口を背景として作られたものである。現在,かつての江口を物語る遺跡はほとんどなく,わずかに〈江口君堂〉の別称をもつ寺院が,その歴史をいまに語り伝えているにすぎない。
執筆者:川嶋 将生
能の曲名。三番目物。鬘物(かつらもの)。観阿弥作か。シテは江口の遊女の霊。旅の僧(ワキ)が摂津の国に赴き,江口の遊女の旧跡を訪れると,若い女(前ジテ)に呼びとめられる。女は,むかし西行法師が遊女に一夜の宿を求めた話などをするが,自分はその遊女の霊の仮の姿だと明かして消える。その夜,月の澄みわたる川面に屋形舟が浮かび,遊女たちの姿が見える。遊女の霊(後ジテ)は,人の世の迷いが集約されているその環境こそ悟りへつながるのだと語り(〈クセ〉),舞を舞う(〈序ノ舞〉)。やがて舟は白象と化し,遊女は普賢菩薩(ふげんぼさつ)となって西の空へ去る。クセ・序ノ舞以下が中心。格調の高い華麗な能だが,諦観を説くなかに一抹の哀愁がある。長唄《時雨西行(しぐれさいぎよう)》の原拠。
執筆者:横道 万里雄
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能の曲目。三番目物。五流現行曲。観阿弥(かんあみ)の作といわれるが世阿弥(ぜあみ)が改作、世阿弥自筆本が残る。遊女が実は普賢菩薩(ふげんぼさつ)であったという結末をもつ哲学的な能。江口の遊女の古跡に立って、遊女に宿を断られた西行(さいぎょう)の歌を回想する旅僧(ワキ)に、里女(前シテ)がその真意の弁明に現れ、江口の幽霊と告げて消えうせる。侍女(ツレ2人)を伴い、屋形船に乗って川遊びの態で登場した後シテは、罪深い遊女の身の上、愛欲に沈む執着と悲しさを語り、舞うが、しだいにその姿は荘厳、透明なものとなり、船は普賢の霊獣である白象となり、菩薩が西の空に消える態で終わる。後段は無常と解脱(げだつ)を説く仏教哲理のむずかしい文章だが、華麗さと崇高さがみごとに表現され、別格にだいじに扱われる能。霊験能的な古風のおもかげを残す夢幻能である。
[増田正造]
大阪市中北部、東淀川区(ひがしよどがわく)の淀川と神崎(かんざき)川との分岐点にある地区。平安朝以来、京都への舟運の中継河港として栄えた。文学上名高い寂光寺(じゃっこうじ)(江口の君堂)は1205年(元久2)の創建と伝えられ、僧西行(さいぎょう)と江口の君妙(たえ)女との問答歌で知られる。現在、河岸には染色、製紙、機械工場などが立地し、後背地には市営住宅地が広がる。
[位野木壽一]
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…産業の中心は農業で,平地部では米作,台地上ではイチゴ,野菜,スイカの栽培が行われる。江口漁港を中心に沿岸漁業も行われ,いりこを産する。美山は近世以来の伝統をもつ薩摩焼の産地である。…
…ただし,その営業形態などの詳細は不明であり,売春婦の系譜として巫女(みこ)または流浪芸人をあてる説も確証に乏しい。一般的に古代において売春が成り立ったのは,旅行者などを対象としてのものと推定されるが,次の平安時代に著名となる売春地帯が,江口,神崎などの港や宿駅であることは,旅と売春との密接な関係をうかがわせる。中世以後における交通の発達と都市の発展とは,売春の機会と人員とを増加させ,近世初頭には豊臣秀吉が遊女を一区域に集める公娼制を採用した。…
…もっともこの風習は近世初期まで続き,江戸城の評定所で会議のときに遊女が3人ずつ給仕人として出仕したと伝えられる。1100年前後の成立と考えられる《遊女記》(大江匡房著)は古代の遊女のありさまを描写したものであるが,そこに取り上げられたのは淀川河口の江口,神崎(かんざき)などに集まっていた遊女である。同様に水辺で小舟に乗って売春する街娼的遊女として浅妻船(あさづまぶね)の存在がしられている。…
…平安末期の漢文体の短文。漢文学者大江匡房が,江口や神崎の遊女たちの様を書き記したもの。それによると,当時西国から京への交通の要所にあたる神崎川には江口,神崎,蟹島などの遊里が発達していた。…
※「江口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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