日本歴史地名大系 「万寿庄」の解説 万寿庄ますのしよう 岡山県:倉敷市旧都窪郡地区万寿庄本庄・東庄・西庄に分れるが、ともに京都新熊野(いまくまの)社領。遺称地などは不明であるが、松嶋村八幡宮縁起(備中集成志)に記す開庄由来や、東庄(ひがししよう)・下庄(しもしよう)・上庄(かみしよう)などの村が近世にあることから、庄域は現倉敷市の北東部一帯に推定される。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文(案、新熊野神社文書)で国役などを停止された新熊野社領二八ヵ所に三庄の名がみえる。貞和二年(一三四六)閏九月の同社長床雑掌勝慶言上状(古文書集)によれば、本庄は後白河院の寄進で、同社重色の庄園であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by