東庄(読み)とうのしよう

日本歴史地名大系 「東庄」の解説

東庄
とうのしよう

現東庄町を中心とする一帯に比定され、立花たちばな郷・たちばな庄の後身と考えられる。

〔中世〕

正和二年(一三一三)四月二五日の関東下知状案(円福寺文書)に「橘庄 号東庄 粟野郷内田肆拾□」とみえ、橘庄を改めたことが知られ、庄内粟野あわの郷が平盛胤の遺領とされている。盛胤は千葉氏の支流東氏一族の海上胤方の子で、伯父東胤行の養子となり、庄内小南こみなみ郷の沼闕ぬまかけ城に居城したという(千葉大系図)。東庄の地頭で庄名を名字とする東氏本宗家の祖胤頼は千葉常胤の六子で、上西門院(統子内親王)に仕え、香取郡東庄三三郷を与えられ、上代かじろ村前野城(現干潟町)に居住していたという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東庄」の意味・わかりやすい解説

東庄(町)
とうのしょう

千葉県北東部、利根(とね)川下流低地と下総(しもうさ)台地からなる香取郡(かとりぐん)にある町。1907年(明治40)笹川(ささがわ)村が町制施行。1955年(昭和30)笹川町と神代(じんだい)、橘(たちばな)、東城(とうじょう)の3村が合併して成立。地名は中世の千葉氏の荘園(しょうえん)名に由来する。JR成田線と国道356号が走り、利根川に並行して流れる黒部(くろべ)川沿いに中心市街地笹川の町並みが続く。中世、千葉氏の一族東(とう)氏がこの地を領し、江戸時代には代官領、旗本領となった。笹川は利根川水運の河港として栄えた。農業は養豚を第一とし、低地は米、台地はいも類、野菜類が生産される。水資源確保と塩害防止のため利根川に堰(せき)が設けられ、笹川シジミは著名。鹿島(かしま)臨海工業地帯との結び付きが強められている。利根川岸にはレクリエーション地が整備され、台地には東庄県民の森が開設された。天保水滸伝(てんぽうすいこでん)の舞台となった地で、諏訪(すわ)神社境内に笹川繁蔵(しげぞう)に関する遺品館や野見宿禰(のみのすくね)碑があり、笹川神楽(かぐら)は県無形民俗文化財に指定されている。面積46.25平方キロメートル、人口1万3228(2020)。

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改訂新版 世界大百科事典 「東庄」の意味・わかりやすい解説

東庄[町] (とうのしょう)

千葉県北東部,香取郡の町。1955年笹川町と神代,橘,東城の3村が合体,中世に千葉氏の一族東氏が支配した東荘にちなんで改称した。人口1万5154(2010)。利根川南岸にあり,銚子市の北西に接する。中心集落の笹川は利根川水運の河港として明治末期まで栄えたが,国鉄(現JR)成田線開通後は銚子,小見川商圏を奪われた。皮革袋物の製造・加工が盛んで,しょうゆ,酒の醸造も行われる。米作,野菜栽培のほか養豚も行われる。1971年塩害防止のため利根川河口堰がつくられた。《天保水滸伝》で知られる笹川繁蔵の墓や記念館がある。
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百科事典マイペディア 「東庄」の意味・わかりやすい解説

東庄[町]【とうのしょう】

千葉県北東部,香取郡の町。利根川南岸の低地と下総(しもうさ)台地にまたがる。中心の笹川(ささがわ)は近世の利根川水運の河港であった。米,野菜を産し,養豚,養鶏も盛ん。綿織物,醤油,皮革袋物などの製造加工も行う。東日本大震災で,町内において被害が発生。46.25km2。1万5154人(2010)。

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