日本歴史地名大系 「万屋新田」の解説 万屋新田よろずやしんでん 大阪府:大阪市平野区万屋新田[現在地名]平野区瓜破南(うりわりみなみ)一―二丁目など大和川南岸に沿った落堀(おちぼり)川の両岸を開発した新田。河内国丹北郡の東・西瓜破村の南部辺りから、西に延びていたと考えられる。明治七年(一八七四)の万屋新田限調帳(田中家文書)には「幅九間、長弐千三百廿三間、中央ニ落堀川在、無人家」とある。もと落堀川は大和川南堤の外に沿って西流し、その上に組まれた石樋を東除(ひがしよけ)川が南から北へ流れ大和川に注いでいた。しかし、享保元年(一七一六)の大水で石樋が流失したため、翌年落堀川を東除川に合流させて大和川へ落すことになった。 万屋新田よろずやしんでん 大阪府:堺市万屋新田[現在地名]堺市常磐(ときわ)町一丁など西流する大和川とほぼ平行して流れる西除(にしよけ)川の間の段丘上に開発された新田。摂津国住吉郡に属する。享保七年(一七二二)堺の万屋善兵衛の開発で同一三年幕府の検地を受け成立した(大阪府全志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by