大和川(読み)ヤマトガワ

デジタル大辞泉 「大和川」の意味・読み・例文・類語

やまと‐がわ〔‐がは〕【大和川】

奈良県北部を西流する川。桜井市初瀬の北方に源を発して初瀬はせ川とよばれ、奈良盆地佐保川と合流、金剛生駒いこま両山地の間を通って、大阪・堺両市の境で大阪湾に注ぐ。長さ67キロ。もとは生駒山地のふもとを北流して淀川に合流していたが、宝永年間(1704~1711)に改修。

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精選版 日本国語大辞典 「大和川」の意味・読み・例文・類語

やまと‐がわ‥がは【大和川】

  1. 奈良県・大阪府を西流して大阪湾に注ぐ川。大和高原に発する初瀬(はせ)川を上流とし、佐保川・飛鳥川・曾我川・龍田川などの支流を合わせ、河内平野を流れて、堺市で大阪湾に注ぐ。宝永元年(一七〇四)までは柏原付近から北流し、淀川に合流していた。全長六七キロメートル。

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日本歴史地名大系 「大和川」の解説

大和川
やまとがわ

大阪府のほぼ中央部を西流し、大阪市と堺市の境で大阪湾に注ぐ府下第二の河川。水源は奈良県。幹川流路延長六四キロ。柏原かしわら市ではら川、柏原市片山かたやま町と藤井寺市船橋ふなはし町の境で石川、松原市で東除ひがしよけ川、堺市で西除川をそれぞれ左岸に合せる。石川合流点以西の流路は宝永元年(一七〇四)に付替えられた人工の流路で、それ以前の大和川は石川を合せたあと、何本もの分派流となって、北流ないし北西流して一部は深野ふこの(現大東市)新開しんかい(現東大阪市)に流入していた(東大阪市の→新開池恩智川玉串川楠根川長瀬川、大東市の→深野池

〔地理的概観〕

大和川の流域は奈良盆地・大阪平野にわたる。奈良盆地では初瀬はせ川が大和川の本流であり、佐保さほ川・富雄とみお川・竜田たつた(生駒川)が北から、てら(米川)飛鳥あすか川・曾我そが川・葛城かつらぎ川・高田たかだ川・葛下かつげ川が南から流入する。これらの諸川は三〇キロにも達しない川で、大雨の時以外は水量が極めて少ない。奈良県北葛城郡王寺おうじ町付近で一つの川となり大和川といい、生駒山地・金剛山地の間(亀瀬峡谷)を先行谷となって大阪平野に入る。七世紀後半から八世紀にかけての大阪平野には、河内低地の中央に広大な湖(河内湖)が存在した。この湖は大和川諸流の堆積作用により徐々に埋められ、近世初期には深野池と新開池を残すだけとなっていた(→大阪平野。大阪平野に入ると大和川は恩智おんぢ川・玉串たまくし(吉田川と菱江川に分流)楠根くすね川・長瀬ながせ(久宝寺川)・平野川に分流して、北または北西に流れ、恩智川と吉田よした川は深野池に注ぐ。深野池には北方から南流してきた寝屋川も流入。三川の水を集めた深野池の水は深野川となって西流、新開池に注ぐ。新開池には南から菱江ひしえ川も流入。新開池から西方へ流出した水は北流してきた楠根川を合せたのち、さらに森河内もりがわち(現東大阪市)で北流してきた長瀬川と合流して西流、大坂城北方で平野川を合せ淀川に注いでいた。これらの分流のうち、長瀬川が主流と考えられるが、全体的に鳥趾状の三角洲とみてよい。地形図の五メートル、一〇メートルの等高線は玉串川水系に沿って北へ延び、典型的な天井川となっている。長瀬川にもこの傾向がみられる。天井川の宿命として、大雨の時には洪水がおきやすく、古来、大和川流域の人々は、大和川の氾濫と淀川の堤防決壊で大きな被害をうけた。なお石川との合流点下流の、付替え以前の大和川の川幅について、貝原益軒は「南遊紀行」に「国府の下は川はゞひろき故、橋長し、橋のはゞ一尺余、長さ三町ばかり、水あさしといへども危してわたりにくし」と記している。


大和川
やまとがわ

奈良盆地の水を合わせて西流し、大阪湾に注ぐ。上流の初瀬はせ川を本流とし、磯城しき郡川西町付近で北から来る佐保川と合流し、現在、この地点から大和川という。次いで寺川・飛鳥川・曾我川・富雄とみお川・竜田たつた川・葛下かつげ川などの水を合わせて、大阪府境の北葛城郡王寺町付近でかめの峡流をなして生駒山地を横断し、大阪平野に入り、いし川・恩智おんじ川などの水を受けて堺市の北で大阪湾に出る。長さ六七キロ、流域面積一千七〇平方キロの一級河川。

「日本書紀」推古天皇一六年八月条によると、隋使裴世清は難波から大和川をさかのぼって額田部ぬかたべ(現大和郡山市)付近を経て海石榴市つばいち(現桜井市)に上陸したようである。同一八年一〇月の新羅と任那みまなの使いが入京するときにも、阿斗あと河辺館かわべのむろつみ(城下郡阿刀村、現磯城郡田原本町大字阪手に比定)に来て、ここから陸路で飛鳥に向かったとみられ、この場合も大和川から寺川をさかのぼったと考えられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「大和川」の意味・わかりやすい解説

大和川 (やまとがわ)

奈良県北部,大和高原の貝ヶ平山(822m)付近に源を発し,奈良盆地,大阪平野を経て大阪湾に注ぐ川。奈良盆地上流部では初瀬(はせ)川と呼ばれ,佐保川飛鳥川竜田川など奈良盆地の諸河川を合わせたのち生駒・金剛山地を横断して大阪平野に出る。幹川流路延長68km,全流域面積1070km2。古くは大阪府柏原(かしわら)市より北流して,長瀬川,玉串川のルートをたどって大阪城の北部で淀川と合流していた。この合流点付近は古代以来しばしばはんらんを繰り返し,洪水防止と新田開発のために1704年(宝永1)に流路が付け替えられ,以後は現在のように大阪市と堺市の境界をなす流路となった。古代には難波と大和を結ぶ大動脈として重要な役割を果たしたが,近世にも大坂~大和間の水運が盛んであった。剣先船と呼ばれる船が利用され,近世当時の遡航点である現奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町は水陸交通の結節点として繁栄した。現在,水運は衰えたが,灌漑用水のほかに,下流部ではその伏流水が堺市の工業用水や上水道として利用されている。現河口の大阪市側はフェリー埠頭やポートタウンとして開けており,堺市側では埋立地に多くの重化学工業の工場などが立地している。
執筆者:

大和川が淀川に合流している状態では,大和川下流沿岸諸村の水害は激しく,いたるところに沼や湿地があった。大和川を柏原の地点から西流させてただちに海に流下させたいとの地元の要望により,河内国河内郡今米村の中甚兵衛らが奔走して大和川付替え工事の請願を江戸幕府に提出した。1683年(天和3),幕命により稲葉正休(まさやす)らが河村瑞賢をともなって関係河川を視察したが,大坂市中の治水と舟運を重視する立場から大和川はんらんの原因は淀川河口にあるとして,瑞賢による84-85年(貞享1-2)の工事では淀川本流の浚渫(しゆんせつ)および新堀(安治川)の開削が行われ,大和川の分流計画は退けられた。しかし,10年余を経て,新田開発をともなう治水の見地が優先して新大和川の掘削が計画され,旧本流には用水路および舟運路としての機能を残し,旧川床および沼沢地を新田開発に当てることになった。幕府は1703年(元禄16)に工事施行令を発し,04年に着工,新川掘削の上流半分を幕府が直轄,下流半分を畿内諸藩が分担して同年11月竣工した。総工費7万1503両余,そのうち3万7503両余を幕府が支出し,3万4000両を諸藩が分担した。幕府負担分の工費は新田開発の地代金でまかなわれたが,諸藩はその負担に苦しんだ。

 大和川付替え工事による潰地(つぶれち)は338町余であったが,それをはるかに上回る880町余が生み出され,これを新田開発に充当して開発者から地代金を上納させ,3年間の鍬下年季(くわしたねんき)を認めて開発させた。造成された鴻池新田菱屋新田などを総称して大和川川床新田という。これらは自給肥料の供給源としての採草地を持たず,しかもその多くは川床の砂地を開墾したものである。そのために金肥(干鰯(ほしか),油粕)を利用する綿作農業が普及し,〈皆畑ニ而,不残木綿作候,外仕付もの無御座候〉(若江郡玉井新田明細帳)という状態にあり,周辺の旧村をもまきこんで綿作にもとづく商業的農業を発展させた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「大和川」の意味・わかりやすい解説

大和川【やまとがわ】

奈良県北部の川。長さ68km。上流は笠置山地南部に発する初瀬(はせ)川で,奈良盆地で諸河川を合し,生駒山地南部の峡谷を通って大阪平野を経て,堺市の北で大阪湾に注ぐ。河谷は古くから奈良と大阪を結ぶ重要な交通路で,隋や新羅の使いがこの川を利用したようである。江戸時代には魚梁(やな)船による水運があった。現在も関西本線が通じる。灌漑(かんがい),堺市の上水道・工業用水に利用。
→関連項目安堵[町]上町台地王寺[町]大阪[府]大阪[市]河合[町]剣先船狭山池住之江[区]難波津東住吉[区]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大和川」の意味・わかりやすい解説

大和川
やまとがわ

奈良県北部、大阪府中南部を西流する川。一級河川。源を大和高原南西部の桜井市大字小夫(おうぶ)地先に発し、奈良盆地を南東隅から北西流し、大和郡山(こおりやま)市額田部(ぬかたべ)南町付近で佐保(さほ)川と合流する。近年までこの合流点より上流を初瀬川(はせがわ)とよんでいた。ここから西へ流路を転じ、寺川、曽我(そが)川、富雄(とみお)川、葛下(かつげ)川など盆地内の諸支流を集め、奈良、大阪の県府境を南北に走る生駒(いこま)、金剛(こんごう)両山地の亀ノ瀬(かめのせ)峡谷を先行性河川として横切り、大阪府柏原(かしわら)市で大阪平野に流入する。さらに石川、東除(ひがしよけ)川などの支流をあわせ、堺(さかい)市と大阪市の境で大阪湾に注ぐ。延長67キロメートル。宝永(ほうえい)年間(1704~1711)まで大和川は柏原市より北へ流れ、大阪城の北東部で淀(よど)川に合流していた。古来、奈良盆地と大阪平野を結ぶ重要ルートで水運が利用され、近世奈良の魚梁(やな)船、大坂剣先(けんさき)船が活躍したが、1892年(明治25)大阪鉄道(現在のJR大和路線)の開通によって姿を消した。

[菊地一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和川」の意味・わかりやすい解説

大和川
やまとがわ

奈良県北部から大阪府にかけて流れる川。全長 64km。上流は初瀬川で,奈良盆地中部で,佐保川,飛鳥川などの諸河川を合流し,生駒山地の南麓を峡谷をつくって西流し,大阪市と堺市の境界で大阪湾に注ぐ。元禄年間 (1688~1704) 以前は柏原市 (大阪府) から北流して淀川に注いでいたが,河内平野での氾濫が激しく,宝永1 (1704) 年江戸幕府の方針で河道を変えた。現在は堺市の上水道,工業用水,流域の灌漑用水に利用されている。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「大和川」の解説

やまとがわ【大和川】

福島の日本酒純米大吟醸酒純米吟醸酒大吟醸酒がある。平成9、17、22年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は自家栽培の山田錦、夢の香。仕込み水は飯豊(いいで)山の伏流水。蔵元の「大和川酒造店」は寛政2年(1790)創業。所在地は喜多方市字寺町。

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デジタル大辞泉プラス 「大和川」の解説

大和川

福島県、合資会社大和川(やまとがわ)酒造店の製造する日本酒。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。

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世界大百科事典(旧版)内の大和川の言及

【河内国】より

…大化改新時には畿内国の一部を占め,独立した一国ではなかったが,その後7世紀後半までに畿内を構成する一国としての河内国が成立した。 河内国の地域は東に生駒・金剛山地,北は淀川,南は和泉山脈に囲まれ,大部分は淀川と大和川の沖積地で,早くから開発が進められ良質の耕地が存在した地であった。また西に瀬戸内海を控えて水上交通の利点もあったため,大和朝廷は伝応神陵をはじめとし5世紀から6世紀にかけての巨大古墳の集中する古市古墳群の地域を全国支配や朝鮮半島進出の絶好の根拠地とし,積極的にこの地の支配にあたった。…

【剣先船】より

…近世,大和川筋を航行した川船。享保年間(1716‐36)には古剣先船211艘,新剣先船100艘,在郷剣先船78艘,古大和川筋井路川船100艘,計489艘があり,働き場は上流は大和・河内境の亀ノ瀬と支流石川の富田林から,下流の大坂京橋までとされた。…

【菱屋新田】より

…現在の大阪府東大阪市の西部に位置した。1704年(宝永1)の大和川付替工事にともなって旧川床に開発され,菱屋東新田(若江郡菱江川筋),菱屋中新田(同郡楠根川筋),菱屋西新田(渋川郡久宝寺川筋)の3新田に分かれている。開発者は若江郡新家村菱屋岩之助で,04年に着工,08年に竣工した。…

※「大和川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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