精選版 日本国語大辞典 「万延」の意味・読み・例文・類語 まんえん【万延】 江戸時代、孝明天皇の代の年号。安政七年(一八六〇)三月一八日に改元、万延二年(一八六一)二月一九日に至って次の文久となる。出典は「後漢書‐馬融伝」の「豊二千億之子孫一、歴二万載一而永延」。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「万延」の解説 まんえん【万延】 日本の元号(年号)。江戸時代の1860年から1861年まで、孝明(こうめい)天皇の代の元号。前元号は安政(あんせい)。次元号は文久(ぶんきゅう)。1860年(安政7)3月18日改元。災異(凶事)を断ち切るために行われた(災異改元)。黒船の来寇や江戸城の火災、桜田門外の変などの凶事が念頭にあったとされる。翌1861年に辛酉革命(しんゆうかくめい)による改元が予定されていたことから、この改元に反対する意見もあったが、孝明天皇の強い意向もあって決せられたといわれる。『後漢書(ごかんじょ)』を出典とする命名。万延年間の江戸幕府の将軍は徳川家茂(いえもち)(14代)。この頃、幕府が朝廷の裁下を得ずに日米修好通商条約を締結したことなどから、攘夷派や尊皇派の強い反発を招き、幕威の低下も大きな問題となっていた。政局安定のため公武合体政策が推進され、1860年(万延1)に幕府は、和宮(かずのみや)(仁孝(にんこう)天皇皇女、孝明天皇の異母妹)を将軍家茂の正室とすることを朝廷に要請、一度は拒絶した孝明天皇も、攘夷鎖国の実行を条件に和宮の降嫁を勅許した。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報