三ヶ新村(読み)さんがしんむら

日本歴史地名大系 「三ヶ新村」の解説

三ヶ新村
さんがしんむら

[現在地名]新湊庄川本町しようがわほんまち港町みなとまち本町ほんまち一丁目・庄西町しようせいまち二丁目・西新湊にししんみなと

西放生津にしほうじようづ浜の西続きに位置。東は放生津町、南は下牧野しもまきの(現高岡市)中伏木なかふしき村、西は六渡寺ろくどうじ村。村名は当地に出作・集居した六渡寺・中伏木・下牧野三ヵ村に由来するという(新湊市史)。寛文二年(一六六二)に新開され、同四年検地、翌五年に村立てされた(同書)。西浜に続く所をさん之浜のはまとよび、浜往来に沿って東から小三こさんヶ・中三なかさんヶ・大三おおさんヶと並び、村西端に吉久よしひさ(現高岡市)を経て高岡町へ至る道、伏木村(現高岡市)を経て氷見ひみ町へ至る道および浜往来との三差路があり、追分の辻と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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