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三好康長 みよし やすなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三好康長 みよし-やすなが

?-? 戦国-織豊時代の武将。
三好元長の弟。阿波(あわ)(徳島県)美馬郡岩倉城主。宗家の三好長慶(ながよし)にしたがい,その没後は三好三人衆をたすける。天正(てんしょう)3年(1575)織田信長に降伏,信任されて四国攻めに活躍した。のち豊臣秀吉にちかづき,その甥(おい)秀次を一時養子とした。号は笑岩。

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朝日日本歴史人物事典の解説

三好康長

生年:生没年不詳
戦国時代の武将。長秀の子で元長の弟。長慶の叔父に当たる。通称孫七郎。山城守。三人衆に次いで長慶に信任され,永禄5(1562)年5月の河内教興寺の戦では畠山高政撃破に活躍,長慶の死後も河内高屋城(大阪府羽曳野市)城主として三人衆方の重臣となる。松永久秀が三人衆に反目すると同8年11月の飯盛山城攻め,翌年5月の堺攻めに参加,この働きで足利義栄の将軍任官が実現した。しかし同10年10月の大仏炎上により三人衆は畿内の人心を失い,翌年9月の織田信長の上洛によりこの政権は瞬時に崩壊する。12年1月,信長帰国の隙に将軍足利義昭を京都本圀寺に急襲するが果たさず,以後石山本願寺の顕如と結んでゲリラ戦に転じた。天正2(1574)年4月,顕如と呼応して高屋城に挙兵し,遊佐信教と共に善戦したが,翌年松井友閑を頼って信長に下る。信長の晩年には織田信孝のもとで四国攻めに従事,信長死後は羽柴(豊臣)秀吉に接近して,三好秀次を養子に迎え,天正10年9月共に根来攻めに従う。晩年キリシタンに帰依したと伝えられる。

(今谷明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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