20世紀日本人名事典 「三宅驥一」の解説 三宅 驥一ミヤケ キイチ 明治〜昭和期の植物学者 東京大学教授。 生年明治9年11月11日(1876年) 没年昭和39(1964)年3月30日 出生地兵庫県 学歴〔年〕同志社の理科大学卒,東京帝大理科大学植物学科選科〔明治32年〕修了 学位〔年〕理学博士〔明治39年〕 経歴明治33年コーネル大に留学し、アトキンソンの指導で植物学研究。35年ボン大学に転じ植物学者ストラスブルガーに師事。38年帰国、39年東大農科大講師、43年欧米留学、44年助教授、昭和7年教授、12年退官。他に日本遺伝学会長、日本水産学会長、科学普及会専務理事、東京日日新聞社客員などを務めた。訳書に「ストラスブルガーの植物学」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅驥一」の解説 三宅驥一 みやけ-きいち 1876-1964 明治-昭和時代の植物学者。明治9年11月11日生まれ。アメリカ,ドイツで細胞学を研究。明治44年東京帝大助教授,昭和7年教授。コンブの精子発見,アサガオの遺伝学的研究などで知られ,日本遺伝学会,日本水産学会の会長を歴任。昭和39年3月30日死去。87歳。兵庫県出身。東京帝大卒。訳書に「ストラスブルガー植物学」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by