イギリスの化学者。明治期のお雇い外国人教師の一人。ニューカッスルに生まれ、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ケミストリーおよびロイヤル・スクール・オブ・マインスに学んだ。A・ウィリアムソンの高弟であったといわれる。
1874年(明治7)東京開成学校の開設と同時に招かれて来日、同校が1877年に東京大学となったのちも引き続き理学部教授となり、1881年帰国までその職にあった。分析化学、応用化学を講じ、久原躬弦(くはらみつる)、松井直吉(まついなおきち)、桜井錠二(さくらいじょうじ)らを教え、日本の化学の育成に努めた。彼自身も研究に従事し、清酒の醸造過程を学術的に研究し、1881年『日本醸酒編』(『理科会粋』第5帙(ちつ))を著した。1903年(明治36)東京化学会(後の日本化学会)は創立25周年を記念して、ダイバーズらとともに彼を名誉会員に推薦した。帰国後は鉄鋼業者、炭鉱業者の顧問技師として活動し、ウェールズのカージフに事務所を営んだといわれる。
[道家達將 2018年8月21日]
(三好信浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
イギリスの化学者.ロンドンのユニバーシティ・カレッジと王立鉱山学校で化学を専攻し,1872年ロンドン大学(当時は単なる試験機関)理学士を取得.母校ユニバーシティ・カレッジの助手を経て,1874年かつての師で上司であったA.W. Williamson(ウィリアムソン)の推薦で来日し,1881年まで東京開成学校,東京大学で化学教師を務めた.無機化学,有機化学,応用化学,分析実験などほとんどすべての化学関連科目を独力で担当し,桜井錠二,高松豊吉,久原躬弦など明治期の日本を代表する化学者を育てた.イギリス帰国後はウェールズの首都カーディフで化学分析コンサルタント業を営んだ.日本滞在中,日本酒醸造に関する化学的・生物学的研究をし,日本の伝統技術に科学的方法を適用した先駆的業績がある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加