デジタル大辞泉
「アトキンソン」の意味・読み・例文・類語
アトキンソン(Robert William Atkinson)
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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アトキンソン
あときんそん
Robert William Atkinson
(1850―1929)
イギリスの化学者。明治期のお雇い外国人教師の一人。ニューカッスルに生まれ、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ケミストリーおよびロイヤル・スクール・オブ・マインスに学んだ。A・ウィリアムソンの高弟であったといわれる。
1874年(明治7)東京開成学校の開設と同時に招かれて来日、同校が1877年に東京大学となったのちも引き続き理学部教授となり、1881年帰国までその職にあった。分析化学、応用化学を講じ、久原躬弦(くはらみつる)、松井直吉(まついなおきち)、桜井錠二(さくらいじょうじ)らを教え、日本の化学の育成に努めた。彼自身も研究に従事し、清酒の醸造過程を学術的に研究し、1881年『日本醸酒編』(『理科会粋』第5帙(ちつ))を著した。1903年(明治36)東京化学会(後の日本化学会)は創立25周年を記念して、ダイバーズらとともに彼を名誉会員に推薦した。帰国後は鉄鋼業者、炭鉱業者の顧問技師として活動し、ウェールズのカージフに事務所を営んだといわれる。
[道家達將 2018年8月21日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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アトキンソン
アトキンソン
Atkinson, Robert William
イギリスの化学者.ロンドンのユニバーシティ・カレッジと王立鉱山学校で化学を専攻し,1872年ロンドン大学(当時は単なる試験機関)理学士を取得.母校ユニバーシティ・カレッジの助手を経て,1874年かつての師で上司であったA.W. Williamson(ウィリアムソン)の推薦で来日し,1881年まで東京開成学校,東京大学で化学教師を務めた.無機化学,有機化学,応用化学,分析実験などほとんどすべての化学関連科目を独力で担当し,桜井錠二,高松豊吉,久原躬弦など明治期の日本を代表する化学者を育てた.イギリス帰国後はウェールズの首都カーディフで化学分析コンサルタント業を営んだ.日本滞在中,日本酒醸造に関する化学的・生物学的研究をし,日本の伝統技術に科学的方法を適用した先駆的業績がある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
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アトキンソン
Atkinson,(Justin)Brooks
[生]1894.11.28. マサチューセッツ,メルローズ
[没]1984.1.13. アラバマ,ハンツビル
アメリカの劇評家。 1926年から 60年にかけて『ニューヨーク・タイムズ』の劇評を担当。引退の際,ニューヨークのマンスフィールド劇場が,彼の名を記念してブルックス・アトキンソン劇場と改称。 47年,ソ連のリポートでピュリッツァー賞を受賞した。主著,『ブロードウェー・スクラップブック』 Broadway Scrapbook (1948) ,『陽気な日々:1920-1973』 The Lively Years:1920-1973 (73) 。
アトキンソン
Atkinson, Sir Harry Albert
[生]1831.11.1. チェシャー,ブロクストン
[没]1892.6.28. ウェリントン
ニュージーランドの政治家。 1880年代の政界保守派の代表的人物の一人。 1853年イギリスからニュージーランドに移り,60~63年のマオリ族との戦いで頭角を現し,64~65年植民地内閣の国防相に就任。次いで,蔵相 (1879~82,82~83) ,首相に就任 (83~84,87~90) 。 80年代の不況と戦い,植民地経済の自立をはかった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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アトキンソン Atkinson, Robert William
1850-1929 イギリスの化学者。
明治7年(1874)来日し,東京開成学校およびその後身の東京大学で分析化学・応用化学などをおしえ,14年帰国。門下から久原躬弦(くはら-みつる),松井直吉らがでた。1929年12月10日死去。79歳。著作に「日本醸酒編」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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