翻訳|cytology
細胞の形態および機能を明らかにする生物学の一分野。すべての生命現象は細胞の働きに由来するから,細胞学と関連分野との境界はときに必ずしも明りょうではない。また細胞の研究は,形態学,生理学,生化学,発生学,遺伝学ならびに進化など多くの分野の研究方法を用いて行われるものである。
生物学の研究方法は科学技術の進歩とともに精密になり,適用の範囲も拡大して上記の各研究分野の間で方法上の大きな相違がなくなるとともに,境界領域での研究もおおいに進み,現在では究極的に細胞の構造と機能に帰結されるすべての分野を総合して細胞生物学cell biologyと呼ぶようになっている。したがって伝統的な細胞学という呼称は狭義に解釈され,細胞の形態を中心とした学問にあてられることが多い。
R.フック(1665),A.レーウェンフック(1674)の細胞の発見から100年以上経て,19世紀の初めになって多くの生物学者がいろいろな生物の細胞を確認するようになり,〈すべての生物は細胞および細胞の生成物からなる〉という細胞説が植物学者のM.J.シュライデン(1838)および動物学者のT.シュワン(1839)によって確立されることになった。
細胞学上の基本的な知見の大部分は,顕微鏡観察技術の進歩によって1870年以後に得られた。1831年にR.ブラウンが核の重要性を指摘してnucleusと名づけ,75年にE.シュトラスブルガーによって核分裂が,同年にヘルトウィヒO.Hertwigによって受精における核の融合がそれぞれ報告され,88年にワルダイヤーW.von Waldeyerが染色体を詳しく観察しchro-mosomeと名づけた。またO.ヘルトウィヒは《細胞と組織》(1892)の中で生物現象を細胞の構造や機能によって説明しようとしてもいる。
生細胞の顕微鏡観察によって,細胞内浸透圧,細胞膜の半透性,原形質流動,繊毛・鞭毛運動,アメーバ運動などについて得られた生理学的知識は20世紀の細胞生理学へと発展した。
また,細胞分裂による遺伝形質の伝達についての知見,とくに生殖受精における核の行動の観察はA.ワイズマンによる生殖質連続説(1883年提唱されたもので,生殖細胞に含まれる生殖にかかわる要素が個体発生と受精を通じて次代へと連続して受けつがれるという説),さらに進化について獲得形質の遺伝を否定する進化論への道を開いた。
メンデルの法則が1900年に再発見され,20世紀に入って,09年にW.L.ヨハンセンがメンデルの各遺伝形質を規定する因子をgeneと呼ぶことを提案,11年にT.H.モーガン一派が遺伝子が染色体上に線状配列すると指摘するなど,遺伝子の基本的概念が生まれ,細胞遺伝学へと発展していく。
細胞の構成物質については,化学的または物理化学的な分析を行い,生命物質を明らかにしようとする新しい生物学の分野が,分析技術の開発とともに著しく進歩した。例えば,1902年にフィッシャーE.FischerとホフマイスターF.Hofmeisterはタンパク質が少数種類のアミノ酸のペプチド結合したものと認め,1869年にミーシャーJ.F.Miescherが核酸分子を分離するなど,生体高分子の性質が調べられ,また細胞内の物質代謝が酵素反応によることを92年にE.ブフナーがアルコール発酵で明らかにし,細胞による酸化が1903年にウィーラントH.O.Wielandによって発見され,その機構については34年D.ケイリンによって明らかにされた。こうしてエネルギー変換,生活活性の維持ならびに生体物質の合成過程などを問題にする細胞化学ならびに生化学の時代へと歩み始めることになった。
また細胞機能の解明が進むにしたがって,代謝機能と酵素系の局在性が細胞の微細構造との関係で問題にされるようになった。細胞化学は細胞分画法によって細胞内構造を分離し,また酵素を含む生体物質の化学的性質に基づいた定量法によって代謝機能の局在と機構を解明してきた。さらに電子顕微鏡の観察技術の進歩は,細胞小器官であるミトコンドリア,葉緑体,小胞体,ゴルジ体などを含むすべての細胞内微細構造とそれら機能との関係を分子レベルで解明するのに貢献している。
1934年ベンズリーR.R.BensleyとホエルN.L.Hoerrが最初にミトコンドリアの分離に成功し,50年ホジブームG.H.HogeboomとシュナイダーW.C.Schneiderは核,ミトコンドリア,ミクロソーム,上清の4分画を細胞のホモジェネートから分画遠心法を用いて分離することに成功した。以来,各種の細胞の代謝機能の局在と分離した代謝系の解明が,放射性同位元素によるトレーサー技術の導入とあいまって,急速に進められることになったのである。
生細胞の構造と機能については,位相差ならびに干渉顕微鏡技術を用いて,核分裂,染色体の行動,受精現象,ミトコンドリアやゴルジ体など細胞小器官の分布と行動が観察されている。一方,微細技法の発達は,顕微鏡下の生細胞に対する細胞手術,試薬の注入,電極刺入などによる細胞学的研究を促し,ホジキンA.L.Hodgkin(1939)とコールK.S.Cole(1940)はヤリイカ巨大神経繊維に毛細管電極の刺入を行い静止電位・活動電位を測定し,R.ブリッジス(1955),J.B.ガードン(1959)はカエルの発生途上の細胞核を卵に移植し,発生・分化における核と細胞質の役割を明らかにするうえでおおいに貢献した。最近クローン遺伝子の情報発現を調べる目的で,細胞核へ精製遺伝子の顕微注入がしばしば行われ,また遺伝子操作の技術的進歩,クローン細胞や融合細胞の細胞培養の進歩などもあり,これらがあいまって細胞学は今や飛躍的な変貌を遂げつつある。
執筆者:腰原 英利
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
細胞の形態および機能を研究する学問。生物現象のほとんどはその構成単位である細胞の性質に関連をもつので、細胞学は生物学の重要な一分野をなす。しかし細胞学とよぶ場合には、その成立過程から形態研究に重点が置かれていたため、近年機能に関する研究が盛んになるにつれて「細胞生物学」という新しい呼び方が多く用いられるようになった。
[大岡 宏]
細胞学の歴史は1665年イギリスのR・フックによる細胞の発見に始まるが、細胞の生物学的な意義は18世紀末から19世紀初めにかけての一連の研究以前はほとんど理解されなかった。一般には1838年のシュライデン、翌1839年のシュワン(いずれもドイツ人)による細胞説の確立が知られているが、それ以前の1759年にもドイツのC・F・ウォルフその他の学者によって生物体の細胞構成が認められていた。イギリスのR・ブラウンは1831年に核を記述し、ドイツのH・von・モールは1835年に、W・フレミングは1882年に有糸分裂を観察した。またドイツのヘルトウィヒは1875年に受精を観察し、同じドイツのシュトラスブルガーらにより1894年に動物・植物の生殖細胞の概念が確立された。さらに1883年にベルギーのベネデン、1887年にドイツのA・ワイスマンらによってなされた減数分裂の発見は、1919年にアメリカのT・H・モーガンが遺伝の染色体説を完成させる基礎となった。一方細胞質の構造の研究も進み、20世紀初めまでにミトコンドリア、ゴルジ装置、色素体が記述された。第二次世界大戦後における電子顕微鏡の実用化は微細構造の研究に飛躍的な進歩をもたらし、リボゾーム、小胞体、核膜、細胞膜、さらにミトコンドリアや色素体の構造などに重要な知見が得られた。これらの小器官の分離とその性質の生化学的研究は形態と機能の関係を明らかにし、この分野は「細胞生物学」という新しい概念で表現されるようになった。
[大岡 宏]
細胞学のおもな研究分野としては、各種の染色法を用いていろいろな動植物組織を構成する細胞形態の光学顕微鏡による観察、電子顕微鏡による細胞内小器官の微細構造の研究、顕微鏡標本の上で染色によって特定の物質や酵素を検出する細胞化学、分裂中の細胞から染色体標本をつくって核型を研究する細胞遺伝学、位相差顕微鏡による組織や培養された生きた細胞の観察などがあるが、これらに加えて蛍光顕微鏡、干渉顕微鏡、偏光顕微鏡、細胞表面を観察する走査電子顕微鏡、放射性同位元素を用いたオートラジオグラフィー、抗体によって物質を検出する免疫細胞化学など新しい技術を駆使した研究が行われている。
[大岡 宏]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…放射性同位元素(アイソトープ)の適用,電子顕微鏡や超遠心分離機などの新技術も,その基本は世紀前半にすでに出そろって,大戦後の躍進に基礎を準備していた。 生体の構成と動態を〈共時的〉に見るのが生化学や細胞学であるとすれば,発生学と遺伝学の視点は〈通時的〉である。そして生化学的理解も,結局は遺伝学的理解を必要とする。…
※「細胞学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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