20世紀日本人名事典 「三島よし」の解説 三島 よしミシマ ヨシ 明治〜昭和期の教育者 三島学園理事長。 生年明治5年2月14日(1872年) 没年昭和25(1950)年1月8日 出生地岩手県水沢 旧姓(旧名)菅 学歴〔年〕和洋裁縫女学校卒 経歴明治28年に歌人を志して上京し、同郷の三島駒治と結婚。周囲の勧めで実学に転じ、和洋裁縫女学校に学ぶ。同卒業後、上田高等女学校教諭などを経て36年夫とともに宮城県仙台に東北女子職業学校(現・三島学園)を創立。以来、その校長として女子の実業教育に心血を傾け、昭和7年には三島学園理事長に就任して学園の基礎固めに力を注いだ。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三島よし」の解説 三島よし みしま-よし 1872-1950 明治-昭和時代前期の教育者。明治5年2月14日生まれ。28年上京し,同郷の三島駒治と結婚。和洋裁縫女学校にまなび,上田高女教諭などをつとめる。36年夫とともに東北女子職業学校(現三島学園)を仙台に創立,校長となる。女子の実業教育につくした。昭和25年1月8日死去。77歳。岩手県出身。旧姓は菅。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by