実学(読み)ジツガク

百科事典マイペディアの解説

江戸時代に用いられた学問の傾向についての用語。一般に観念的で空疎な学問に対し,経験科学や技術に基づく実用的学問を呼んだ。非実用的な朱子学を批判的にみた新井白石らが,殖産興業政策をとったのが,実学の先駆とされる。徳川吉宗蘭学に対する関心は,その殖産興業政策の裏付けとして,実学の伝統を築くのに役だち,医学・本草・馬匹改良・天文などの諸方面で多くの実学者を生んだ。古学派では,農業・農政論,藩政経営論などが実学的傾向とされた。明治時代に入って,福沢諭吉らが唱えた〈実学〉も,実学主義の影響を受けつつ,この伝統の中にあるとみられる。朱子学の影響の強かった,朝鮮王朝時代の朝鮮でも,観念論的な朱子学と一線を画す実学が,18世紀後半から19世紀にかけての英祖,正祖の時代に盛んとなった。丁若【よう】朴趾源洪大容らがその代表的な学者である。
→関連項目華城熊本洋学校坤輿万国全図正祖

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世界大百科事典 第2版の解説

一般には実証性に裏づけられ,実際生活の役にたつ学問の。その他,現実的な学問,道徳的実践の学,人間的真実の追求の学,政治的実践の学など多義にわたり,時代により異なる。
[日本]
 日本で実学という概念思想史にはじめて登場するのは,彼岸の生活を実在とするのではなく現実生活を重んずるようになった17世紀,江戸期からとみてよい。江戸前期では,仏教を虚学とし,儒教とくに朱子学を実学と考えた林羅山,中江藤樹らによれば道徳的実践,人間的真実の追求こそ実学と考えられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

実用的な学問。江戸時代、思弁性の強い仏教や形而上(けいじじょう)的な朱子学に対して、道義を重んじ活動主義を唱える伊藤仁斎(じんさい)や、「経世済民の学」を主張する荻生徂徠(おぎゅうそらい)らは、実学を重視し、学問の実用性や日常的・社会的実践性を強調した。また農工商などの産業経済の発達は実業的な知識、技術を必要とするようになったため、「読み書きそろばん」をはじめ、農学、本草(ほんぞう)学、天文学、暦学、医学などの経験的・実証的な学問がおこってきた。さらに享保(きょうほう)期(1716~36)以降、西洋の自然科学の導入が始まり、技術中心ではあったが蘭学(らんがく)もおこった。

 幕末維新以降は、欧米近代文明の摂取が本格化し、洋学が、文明開化、近代化の推進に必須(ひっす)なものとして奨励され、実学の中心となっていった。福沢諭吉は、『学問のすゝめ』(初篇(へん)1872)のなかで、従来の和学・儒学を「学問の実に遠くして日用の間に合はぬ」と排斥し、「人間普通日用に近き実学」こそ新しい学問だと主張、学問を庶民一般に開放するとともに、実学の性格を明確にした。以後、近代の学問は、資本主義の発達と結び付いて、法律・経済などの政策科学や数理工医などの実験科学の発達にみられるように実学が主流となり、理想主義的なまた非実用的な学問は「虚学」として軽視されるようになった。しかし学問の分化、専門化は著しく、徂徠や福沢が目的とした、学問をいかに人間生活に結合させるか、との実践的態度に支えられた実学は、逆に廃れていったともいえよう。

[松永昌三]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① (理論的研究・基礎的研究に対して) 習った知識や技術がそのまま社会生活に役立つような学問。商学・工学・医学など。
※太閤記(1625)二〇「こまもろこしのかた史なんどは、修身斉家之実学而已」 〔中庸‐章句〕
② 実際に身についている学問。
※公議所日誌‐八上・明治二年(1869)四月「実才実学を洞察するは、試官の任なれば」

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

実証性に裏づけられ,社会に役立つ学問
中国では明末の16〜17世紀にかけ李時珍(『本草綱目』),徐光啓(『農政全書』),宋応星(『天工開物』)らが技術関係の書物を著した。理論的究明は李氏朝鮮で発達した。宋学(朱子学)がしだいに現実ばなれした虚学となったことを批判し「実事求是」の思想が生まれた。18世紀に西洋学の紹介から現実社会の改革,鎖国の批判などの啓蒙運動を展開したが,19世紀初めに弾圧された。日本では,江戸期の洋学をへて,明治維新期に横井小楠 (しようなん) ・由利公正・福沢諭吉らの先覚者を出した。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

日常生活に役立つ学問
朱子学などの理論的・思弁的学問に対して,読み・書き・そろばんなど庶民の日常生活に必要な知識・教科をさした。8代将軍徳川吉宗は漢訳洋書輸入のをゆるめた。蘭学の輸入は実学の発展に拍車をかけ,医学・農業・本草学・軍事・産業と直接結びつき,その科学性・合理性とあいまって著しく普及した。民衆の啓蒙に役立ち,文明開化期に全盛となった。

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世界大百科事典内の実学の言及

【儒教】より

…国家は《三綱行実図》をつくって孝子,忠臣,烈女の顕頌を行い,ハングル訳を付して庶民の教化に努めた。 しかし朝鮮儒教にも以上の性理学(道学),党争,礼学中心の儒教とはちがう新しい学風としての実学が18世紀に開花する。それは儒教本来の経世済民にたち返った学問ともいえる。…

【横井小楠】より

…藩校時習館に学び,居寮長に進んだのち江戸に遊学したが,酒で失敗して帰国させられた。1843年(天保14)ごろ同志と実践的朱子学のグループを結成して学問と政治の一致を目ざし,〈実学〉を唱えた。また同じころ私塾を開いた。…

【李朝】より

…朱子学的倫理は家父長制,孝悌や家への忠節,男尊女卑,血族(親族・宗族)重視などの規範を民衆を含む朝鮮人社会に根深く定着させ,幾多の弊害も残したが,他方では名分論,徳義論に基づき礼を重んじ,覇道より王道,政治権力より思想的正統性を尊重し思想に殉ずることを尊しとする気風,それこそが士=知識人であるとする気風,白か黒かをはっきりさせ,あくまでも道理を通そうとする人間タイプを尊重する気風を強めた。そうした正統主義は一面では士禍や李朝後期の党争を生んだが,他面では吉再,金宗直,趙光祖,李退渓,徐敬徳,李栗谷らの士林派や李朝後期の実学,末期の衛正斥邪論(侵略に対する民族的抵抗)を生み出した。また朱子学のみを正当とする意識は漢字・漢文学を正式なもの,ハングルは〈諺文〉(地方的なもの),ハングル文学は男性の文学ではなく女性の文学とする傾向を生み,朝鮮文字・朝鮮文学の発展・普及をさまたげた。…

※「実学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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