日本歴史地名大系 「三島港」の解説
三島港
みしまこう
現三島市の中央やや西寄りの
寛文七年(一六六七)の「西海巡見志」に「三嶋村 一、御高札有 一、舟番所有 一、片浜 一、高二百石 一、家数拾五軒 一、舟数拾五艘 四艘百五拾石積より二百五拾石積迄 一、一艘猟舟 一、加子数二拾四人内八人役加子」と浜方の様子がみえ、港に不向きな砂浜だが港として機能していたことがわかる。「今治拾遺」には延享三年(一七四六)に「御巡見使宇摩郡三島村へ御入込付(中略)四月拾六日御出立相成同夜各出船拾七日帰着」と船便を利用している。寛政九年(一七九七)の三嶋村明細帳には、小物成に肴運上二五匁があり、船数二四艘うち一七艘売船、七艘猟船と船数も増加している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報