日本歴史地名大系 「伊予三島市」の解説 伊予三島市いよみしまし 面積:一八五・四三平方キロ県の東端に位置する旧宇摩(うま)郡の中央部を占める。嶺北(れいほく)(法皇山脈の北側)の平野部と、嶺南(れいなん)の山村部からなる。東は平野部は川之江市、山間部は宇摩郡新宮(しんぐう)村に、南は石鎚(いしづち)山脈を隔てて高知県長岡(ながおか)郡に、西は平野部は宇摩郡土居(どい)町、山間部は宇摩郡別子山(べつしやま)村に接し、北は燧(ひうち)灘に面する。嶺北は山が海に迫って平野が東西に細長く帯状に展開し、河川らしいものはない。現在では銅山(どうざん)川疎水用水により日本有数の製紙地帯となっている。国鉄予讃本線と国道一一号が市の北部を東西に走る。嶺南の山間部は石鎚山脈と支脈の法皇(ほうおう)山脈谷間の山村で、別子山村の西部に発源する銅山川が東流し、その流域に人造の金砂(きんしや)湖が造成されている。市名は中心をなす旧三島町から、昭和二九年(一九五四)市制発足時に決定したものである。三島は当地氏神の三島神社に由来する地名と思われる。〔原始〕法皇山脈北麓に古墳文化圏が展開する。下柏(しもがしわ)に経(きよう)ヶ岡(おか)古墳、上柏(かみがしわ)に横岡(よこおか)山の学校園古墳・横岡山箱形石棺群・岡の上(おかのうえ)古墳(いずれも現存しない)、中曾根の横地山(なかぞねのよこちやま)古墳(箱形石棺二を出土)などがある。〔古代〕上柏町に越智玉澄館(おちたまずみやかた)跡と称せられるものがある。「河野家譜」築山本に「玉澄 異ニ純、宇摩大領樹下大明神是ナリ」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by