日本歴史地名大系 「三嶽村」の解説 三嶽村みつたけむら 福岡県:北九州市(旧豊前域)小倉南区三嶽村[現在地名]小倉南区辻三(つじみつ)辻蔵(つじのくら)村の東、福智(ふくち)山系の北に位置し、紫(むらさき)川支流合馬(おうま)川の水源にあたる。古くは徳力(とくりき)村に属したという。中世三岳(みつたけ)城という長野氏の城郭が二流の尾根筋に築かれ、南側の小三岳山頂を中心に東西に延びる尾根筋に小三岳城、北側の尾根筋大三岳山頂に大三岳城があった。大三岳城は文和三年(一三五四)長野義忠、小三岳城は延文四年(一三五九)長野義基の築城という(「長野家譜」小倉市誌)。 三嶽村さんのたけむら 大分県:大野郡犬飼町三嶽村[現在地名]犬飼町黒松(くろまつ)柚河内(ゆがわち)村の北西、三(さん)ノ岳(五三七・五メートル)の東麓にある。「豊後国志」に三嶽とみえる。村名は三嵩とも記される。旧高旧領取調帳では高五七石余。幕末まで岡藩領。安永七年(一七七八)には柴北組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。岡藩の小制札場が設置されていた(岡藩御覧帳細注)。当村にあった光蔵(こうぞう)寺(現廃寺)の地蔵堂は岡藩から畑六畝余を寄進されていた(地方温故集)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by