日本歴史地名大系 「三日曾根村」の解説 三日曾根村みつかそねむら 富山県:新湊市三日曾根村[現在地名]新湊市三日曾根・本町(ほんまち)二―三丁目・桜町(さくらまち)・西新湊(にししんみなと)・善光寺(ぜんこうじ)・緑町(みどりまち)内(うち)川南岸に位置。東は四日曾根(よつかそね)村、北は放生津(ほうじようづ)町、南は中曾根(なかそね)村(現高岡市)。中世は曾禰保の内。当初三日曾根村は大村で、のち四日曾根村を分村したという。また本村は善興寺(善光寺)村と称されたといい、その名は曾禰に所在した禅興(ぜんこう)寺(奈良西大寺末)に由来するとされる。慶安二年(一六四九)当村・四日曾根村の一部を割いて放生津新町が成立した。正保郷帳では高四九九石余、田方一一町一反余・畑方二二町二反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高五一五石、免四ツ八歩、万治二年(一六五九)から寛文二年の新田高三六石、小物成は網役三六九匁(退転)、川役六匁、猟船櫂役七匁(退転)であった(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by