日本歴史地名大系 「三条目村」の解説 三条目村さんじようのめむら 山形県:東置賜郡高畠町三条目村[現在地名]高畠町三条目相森(あいのもり)村の西、竹森(たけのもり)村の南の屋代(やしろ)川南岸に位置。地名は古代の条里に由来するものとみられる。当地の小字名に北方(きたかた)があるが、これは中世の屋代庄北方の遺称と推定されている。北方は屋代川北岸の竹森・根岸(ねぎし)・深沼(ふかぬま)(北部)を主領域とし、これに対して南岸を南方と称したが、当村はその境界上にあり、北方・南方に分属していたようである。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高二七一石余、免三ツ三分、家数一八(うち役家二、肝煎・小走二)・人数五二。蒲生氏高目録帳では村柄は中。慶長三年(一五九八)上杉氏(のち米沢藩主)領となり、寛永八年分限帳によると当村に給地のある家臣一一。寛文四年(一六六四)幕府領となり、以後は安久津(あくつ)村と同様の変遷をたどる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by