コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

遠島 えんとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

遠島
えんとう

江戸時代,幕府および一部の藩において行われた刑罰の一つ。中国法系の流刑とは異なり,年期を定めず配する制度。『公事方御定書』によれば,江戸よりのは,伊豆七島へ,京大坂,西国中国よりの囚は,薩摩五島隠岐国,壱岐国,天草郡などへ配流することとなっていた。あわせて遠島に処せられた者は,田畑・家屋敷家財が没収 (闕所) となる。また島での生活は,役人による一応の監視を受けるほかは,まったく放置され,流人は,それぞれの才技によって生活をおくった。したがって,腕に職なき者は生計を立てがたく,死にまさる苦しみを受けたという。ゆえに,江戸幕府後年,多少の改善を計画し,島地発遣に際し,親類縁者よりの銭などの差入れを許しまたそれがない者には若干の公的支給が行われるようになった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

遠島【えんとう】

江戸幕府の刑罰の一つ。流罪(るざい)ともいい,罪人(流人)を離島に送って生活させた。死刑に次ぐ重刑で,刑期無期。ただし赦によって免じられた。美濃(みの)国以東の罪人は江戸小伝馬(こでんま)町の牢に集められ,春秋2回大島・八丈島など伊豆(いず)七島に,近江(おうみ)国以西の罪人は大坂の牢に集められ,年1回薩摩(さつま)および五島(ごとう)・隠岐(おき)・壱岐(いき)・天草(あまくさ)諸島に送られた。
→関連項目信達騒動

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

えんとう【遠島】

江戸幕府の刑罰の一つ。流罪(るざい)ともいい,その罪人を流人(るにん)という。離島に送り,島民雑居して生活させる刑で,《公事方御定書》(1742)以後制度が整った。武士,僧侶神職,庶民など身分を問わず適用され,武士の子の縁坐(えんざ),寺の住持女犯(によぼん),博奕(ばくち)の主犯,幼年者の殺人や放火などに科された。死刑につぐ重刑とされ,田畑家屋敷家財を闕所(けつしよ)(没収)し,刑期は無期で,赦(しや)によって免ぜられたが,《赦律》(1862)によれば,原則として29年以上の経過が必要であった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

えんとう【遠島】

陸地を遠く離れた島。
江戸時代の刑罰の一。追放より重く、死罪より軽い。博打ばくちうち、女犯によぼんの僧、誤って人を殺した者などに科せられた。伊豆七島・佐渡・五島・天草・隠岐・壱岐などに送った。島流し。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遠島
えんとう

「おんとう」とも読み、俗に島流しともいう。流罪(るざい)ともよばれたので、律令(りつりょう)時代の遠流(おんる)の後身のようにみえるが、遠流は辺地に放逐することで、遠島とは異なる。江戸幕府の公事方御定書(くじかたおさだめがき)の規定では、江戸からは大島、八丈島、三宅(みやけ)島、新(にい)島、神津(こうづ)島、御蔵(みくら)島、利(と)島の伊豆七島のうちに遣わし、京、大坂、西国(さいごく)、中国からは、薩摩(さつま)、五島の島々、隠岐(おき)国、壱岐(いき)国、天草郡に送ることになっていた。その者の田畑、家屋敷、家財は闕所(けっしょ)(没収)になる。
 例を江戸からの遠島にとって述べると、裁判所では、遠島だけが申し渡され、出帆の前夜に行き先が言い渡される。それまでは在牢(ざいろう)させられ、身寄りの者からの差し入れがないときは若干の手当銭が支給される。流人(るにん)は出帆の前日に牢屋の中の遠島部屋に入れられ、この際、手当銭のなかから400文で好きな酒食がとれる。当日の朝、流人は牢屋裏門から、霊岸島(れいがんじま)にある御船手番所(おふなてばんしょ)に連れて行かれる。遠島の用船は500石積みで、流人は船牢に入れられるが、御目見(おめみえ)以上の流人と女流人は別囲(かこい)である。船は鉄砲洲(てっぽうず)に3日間滞船し、この間、家族親戚(しんせき)などから飲食物を贈りたい旨の申し出があれば、役人の裁量で会わせて渡させる。出帆ののち、相州浦賀(神奈川県)の番所に船を止め、流人は改めを受けて、流人の始末書はここの役所に収められ、その写しをもらって、船は予定の島に向かう。流刑(るけい)は斬罪(ざんざい)よりは軽いが、死に勝る悲しみがあるといわれた。
 島での生活は、大島、三宅島、八丈島はよいほうで、利島、神津島、御蔵島は悪いといわれた。のちには、八丈島、三宅島、新島の3島にだけ流すことになった。よい島のなかでも、三宅島は他の島よりもよいといわれ、流人のなかでも、一軒の所帯をもつ者は水汲(みずくみ)女を抱えてこれを妻とした。そういうわけで、八丈島に流す者も、流人生活に慣らす意味もあって、数か月ほどは三宅島に滞留させた。しかし、三宅島の生活が楽だといっても、一軒の所帯をもてない者は、小屋と称する古代の穴居のような生活をするありさまであった。八丈島は江戸からの距離は遠いが、流人の暮らしはよかった。関ヶ原の戦いで西軍についた宇喜多秀家(うきたひでいえ)が江戸幕府によって八丈島に流され、また町絵師多賀長湖(後の英一蝶(はなぶさいっちょう))が、5代将軍徳川綱吉(つなよし)の愛妾(あいしょう)おでんが舟中で鼓(つづみ)を打ち、綱吉が棹(さお)をさすところを描いて、三宅島に流されたことは有名である。幕末になって、外国船が近海に現れるようになると、幕府は、外国人との接触を恐れて、1862年(文久2)蝦夷地(えぞち)(北海道)の離島に送ることにした。翌年からは旧に復して伊豆諸島に送ることになった。
 関西の流人は大坂に集めて出船したが、京都の流人を大坂に送るには、高瀬舟に乗せて、京都町奉行所(ぶぎょうしょ)の同心が同行した。罪科が決まって島に流されるときは、京都では牢屋敷に親戚の者を呼び出して、当人に引き合わせて暇(いとま)をさせるのが定法であった。森鴎外(おうがい)の小説『高瀬舟』は高瀬舟で送られるある流人の身の上話である。[石井良助]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の遠島の言及

【闕所】より

…私的に所持する財産を官没するもので,公的な支配権の召上げは改易(かいえき)と呼び区別した。《公事方御定書》によれば,鋸挽(のこぎりびき),磔(はりつけ),獄門,火罪,斬罪,死罪,遠島および重追放の諸刑には田畑,家屋敷,家財の取上げが,中追放には田畑,家屋敷の取り上げが,軽追放には田畑の取上げがそれぞれ付加される。これを欠所と称し,武士,庶民を通じて適用したが,扶持人の軽追放においてはとくに家屋敷のみの欠所とする。…

【博徒】より

…中間たちは賭博常習者であり,都市博徒の有力な予備軍であった。1793年(寛政5)には,武家の家来で徒士(かち)以上の者が博奕をした場合は遠島,足軽・中間以下で主人の屋敷で博奕をした者は遠島,他所へ行って博奕をした者は江戸払とすると定められた。このほか,目明し(めあかし)と呼ばれる取締役人の手先を務める者たちがあった。…

【牢屋】より

…しかしこのほか,次の三つの機能をも有した。(1)有罪判決(とくに遠島(えんとう)刑)を受けた者を,刑の執行(出船)まで拘置する場所としての機能。(2)永牢(ながろう),過怠牢(かたいろう)という,幕府の法体系の外に,いわば例外的にのみ存在した禁錮刑を執行する場所としての機能。…

※「遠島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

遠島の関連キーワード後鳥羽院御口伝藤原長綱(1)土御門院小宰相日下部裕之進大漁唄い込み塚本 儀三郎生類憐みの令小幡三四郎『高瀬舟』長崎犯科帳伊地知季安我妻 桃也山口与十郎土井忠兵衛釜鳴屋平七近思録崩れ七宝[町]武田金次郎桃井英升藤原隆祐

今日のキーワード

あおり運転

危険運転の一種で、前方を走行する車両に対する嫌がらせ行為。車間距離を極端に詰めて道を譲るように強要する、猛スピードで追い回す、ハイビームやパッシング、並走しての幅寄せなどで威嚇する、といった行為が該当...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

遠島の関連情報