三殿村(読み)みどのむら

日本歴史地名大系 「三殿村」の解説

三殿村
みどのむら

[現在地名]大内町三殿

町田まちだ村の西にあり、南と北から低い山地が迫り、その間を流れるみなみ川流域のわずかな平地集落耕地がある。水主みずし神社の祭神倭迹迹日百襲姫の御殿があった所とも、東坊・南坊・西坊の三仏殿があった所とも伝える。寛永国絵図では入野にゆうのや郷に含まれている。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では高一三四石余。寛文七年(一六六七)検地帳(坂東文書)によると畝数一八町六反余・高二〇二石余で、うち田方一三町五反余・一六八石余、畑方五町一反余・三三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む