三牟田村(読み)みむたむら

日本歴史地名大系 「三牟田村」の解説

三牟田村
みむたむら

[現在地名]吉井町新治(にいはる)

吉井町の北方、美津留(みつる)川沿岸に位置し、金本(かねもと)村・末石(すえいし)村・橘田(たちばなだ)村と隣接する。本高は五六石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高九〇石・役高三六一石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高三五六石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田三反余・開田三町四反余・畑田一四町余・畑三町一反余・居屋敷二反余。旧高旧領取調帳によると高一三八石余。庄屋不在の石井組大庄屋直裁の時期が長く(在方諸覚書)、「寛延記」では吉井町庄屋の兼帯。


三牟田村
みむたむら

[現在地名]夜須町三牟田

曾根田(そねだ)村の西にあり、砥上(とかみ)岳の南麓に位置する。「続風土記」は村内として下町(しもまち)村をあげる。小早川時代の指出前之帳では三牟田村の田四二町九反余(分米五五七石余)・畠一七町八反余(分大豆九一石余)。江戸時代は福岡藩領。慶長七年(一六〇二)の検地高七二二石余、うち大豆一一六石余(慶長石高帳)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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