日本歴史地名大系 「三瓶神社」の解説
三瓶神社
みかめじんじや
突出した丘陵部の
社伝は天平勝宝年間(七四九―七五七)
「宇和旧記」は「三瓶大明神、開基不知、棟札もなし」とし、神社蔵の破損した一切経本の奥書を載せるが、それによれば応永七年(一四〇〇)秦朝臣権頭持義が大願主として大蔵経を当社に施入、延宝九年(一六八一)九月、藩主伊達宗利は、大風で経堂が破れたので、代官宮川定綱に命じて経函六個をつくって施入し、破損した一切経を納めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報