福島県南東部にある市。1966年(昭和41)5市4町5村の合併によって成立。面積1232.26平方キロメートルで、全国でも有数の広域都市である。中心地区の旧平市(たいらし)は1937年(昭和12)市制施行。旧常磐市(じょうばんし)は1954年に湯本(ゆもと)町と磐崎(いわさき)村が合併して成立。旧磐城市(いわきし)は1954年に小名浜(おなはま)町を中心に江名(えな)町、泉町、渡辺村が合併して成立。旧勿来市(なこそし)は1955年に植田町、勿来町、錦(にしき)町、川部村、山田村が合併して成立。旧内郷市(うちごうし)は1954年内郷町が市制施行。以上の5市と、四倉(よつくら)、久之浜(ひさのはま)、小川、遠野(とおの)の4町、大久(おおひさ)、川前(かわまえ)、三和(みわ)、好間(よしま)、田人(たびと)の5村が合併したものである。1999年(平成11)中核市に移行。人口33万2931(2020)。交通は、市域を南北方向に国道6号(陸前(りくぜん)浜街道)と常磐自動車道、JR常磐線が縦断し、東西方向に国道49号、磐越(ばんえつ)自動車道とJR磐越東線が横断し、これらを骨格にして国道289号、349号、399号や主要地方道、市道で道路網が形成される。小名浜港は重要港湾に指定されている。
[原田 榮]
西部の阿武隈(あぶくま)高地東縁の山間部と東部の太平洋岸の低地からなり、地形変化に富む。夏井(なつい)川、好間川、鮫(さめ)川などは山地では峡谷をつくり、河口付近で小平地を形成している。太平洋式気候の代表的地域で、夏涼冬暖であり、冬季の降雪は皆無に等しいのがこの低地の特色である。
[原田 榮]
大畑遺跡群、亀ヶ崎遺跡(かめがさきいせき)などからは先土器時代の石器が発見され、縄文時代の貝塚も多い。鎌倉時代は好島荘(よしまのしょう)、菊田荘の地。戦国時代は岩城氏(いわきうじ)の勢力下にあった。江戸時代は鳥居(とりい)、内藤、安藤氏らの平藩(たいらはん)と内藤氏湯長谷藩(ゆながやはん)、同氏などの泉藩の領有する地が多かった。明治になって一時、平に磐前県(いわさきけん)の県庁が置かれた。
[原田 榮]
農業は米作、野菜栽培が中心で、わずかにイチゴ、ナシの産出がある。水産業は小名浜、四倉などの主要漁港を中心に活発で、カツオ、サバ、イワシなどを水揚げし、かまぼこの生産が多い。林業は阿武隈高地にスギの植林が盛んであり、また小名浜港への外材(カナダ、ロシアなど)の輸入が多い。鉱業は、かつては常磐炭田の中心であったが、石炭産業の衰退で、一般に振るわず、白煉瓦(れんが)など土石産業に特色がある。工業は、臨海の原料素材供給型の大企業と、内陸の労働集約型の中小企業に分かれる。小名浜、錦などに精銅、酸化チタン、製塩、ポリ塩化ビニル、亜鉛、製紙などの業種が分布するのが前者であり、平、内郷などに電子、縫製、金属加工などの業種が分布するのが後者である。2010年(平成22)の製造品出荷額等は1兆0945億円で、東北地方の都市で第1位となっている。商業は、卸売り商圏が市域内に限定される弱点はあるものの、小売り商圏は旧5市の商店街を中心に小規模に構成されている。
[原田 榮]
広域性、自然の多様性、歴史性により、文化財、観光資源が多い。県立自然公園は、磐城海岸、夏井川渓谷、勿来、阿武隈高原中部の四つがあり、海岸、渓谷、山岳の各域にわたり多趣に富む。さらに、1160年(永暦1)建立の白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)(国宝。境域は国指定史跡)、甲塚古墳(かぶとづかこふん)、中田横穴(ともに国指定史跡)などの文化財、賢沼ウナギ生息地(かしこぬまうなぎせいそくち)、照島ウ生息地などの国の天然記念物がある。錦地区の熊野神社で7月31日~8月1日の祭礼に行われる御宝殿の稚児田楽・風流(ごほうでんのちごでんがくふりゅう)は国の重要無形民俗文化財に指定されている。また各地区の「じゃんがら」の念仏踊、泉地区の諏訪(すわ)神社の棒術、獅子(しし)舞などの民俗芸能がある。湯本温泉は炭坑内から引き湯しており、スパリゾートハワイアンズ(旧、常磐ハワイアンセンター)もあってにぎわっている。
[原田 榮]
〔東日本大震災〕2011年の東日本大震災では死者436人・行方不明37人、住家全壊4644棟・半壊32921棟の被害を受けた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第159報)」平成31年3月8日)。市域北東部は事故が発生した東京電力福島第一原子力発電所から30キロメートル圏内に位置していたことから、自主避難の指示も出されている(4月22日屋内退避指示の解除)。寸断された交通網も不通となっていた常磐線が4月11日にいわき駅と茨城県高萩(たかはぎ)駅間が再開して上野駅までつながり、いわき駅以北も、5月14日に久ノ浜駅まで、10月10日には広野町広野駅まで運行が再開された(2020年3月全線開通)。また、原発事故による避難指示区域に近いことから多くの避難者を受け入れており、2018年6月20日の「いわき市災害対策本部週報」によれば、住民票を異動せずにいわき市内に避難している避難者は2万0765名にのぼり、双葉(ふたば)町の町役場事務所、富岡町の支所、大熊町・楢葉(ならは)町の各出張所が市内に設置されている。一方で、市域外で避難生活を送っている市民(住民票を異動した市民を含む)も3000名を超えている。
[編集部 2019年10月18日]
『『いわき市史』全15冊(1971~1985・いわき市)』
福島県浜通り南部を占める市。1966年平(たいら),磐城(いわき),勿来(なこそ),常磐,内郷の5市と石城(いわき)郡下の四倉町,遠野町,小川町ほか4村および双葉郡の久之浜町ほか1村が合体して新設された。面積は1231km2で,2003年静岡市(1374km2)に抜かれるまで全国の市の中で第1位であった。人口34万2249(2010)。市域は主として花コウ岩類よりなる阿武隈高地に属する山地部と,第三系よりなる丘陵地および夏井川,藤原川,鮫川などの下流域にある沖積地を含む低地部からなり,東は太平洋に臨む。この市域は旧石城郡の全域と双葉郡の一部を含む広大な地域のため,近世には岩城氏の城下町としての平(磐城平),港町としての小名浜,四倉,江名,低地部の稲作を主とする農村,山地部の農林業地域と多彩な性格を有していた。幕末における常磐炭田の開発と明治以降の常磐線(1897),磐越東線(1915)の開通などにより,平には商業・行政機能が集中し,湯本,内郷などには炭鉱集落が形成され,小名浜,勿来には工業が発達した。さらに小名浜港が貿易港として整備され,1964年郡山地区とともに新産業都市に指定され,小名浜港湾の拡張整備と小名浜・勿来地区の工場誘致が進められた。76年大手炭鉱の閉山により,人口は合体当時より一時減少したが,常磐自動車道,磐越自動車道の分岐点となり,電気機器,化学を中心に県下1位の工業出荷額(1995)をあげ,人口は増加の傾向にある。市役所のある平は城下町から発達し,交通の便がよく商業・行政・文化の中心地である。小名浜は東廻海運で栄え,その後港湾の整備とともに臨海工業地帯となり,また沖合・遠洋漁業の根拠地でもある。旧常磐市の中心湯本(常磐湯本温泉)は古くからの温泉地で観光保養の中心地となっており,内郷の白水には国宝の願成寺(がんじようじ)阿弥陀堂があり,勿来は勿来関で知られる。2011年3月の東日本大震災では死者行方不明351人,全壊住宅5620戸にのぼった。
執筆者:大澤 貞一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…1951年重要港湾に指定されてからは周辺の工業化がはかられ,とくに64年新産業都市指定後,内陸交通の整備も進み,漁港,商港,貿易港として発展をみている。この間54年磐城市となり,66年いわき市に編入された。【青木 美智男】。…
…福島県いわき市北部を占めた荘園。1186年(文治2)陸奥国岩城郡飯野郷赤目崎(のち平城の地)に石清水八幡宮より御正体を勧請して岩城郡八幡宮(飯野八幡宮)が創建された。…
※「いわき」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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