三田城跡(読み)さんだじようあと

日本歴史地名大系 「三田城跡」の解説

三田城跡
さんだじようあと

[現在地名]三田市天神二丁目

武庫むこ川右岸の丘陵上に築かれた戦国期―近世初頭の平山城跡。現県立有馬ありま高校および周辺の古城ふるしろと呼称される地が城跡とされる。戦国時代赤松有馬氏が居城した城を車瀬くるませ城といい、その後は三田城と称したとされる。天正六年(一五七八)一二月には荒木村重方となった三田城を織田信長勢が攻め、付城を築いている(信長公記)。また羽柴秀吉播磨を制圧後の同一一年に三好孫七郎(豊臣秀次)に三田城の受取りを命じている(五月二五日「羽柴秀吉書状」福尾猛市郎氏所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android