日本歴史地名大系 「平山城跡」の解説
平山城跡
ひらやまじようあと
南北朝期、平山氏は正八幡宮の留守氏らと争い(暦応二年一一月日「正八幡宮講衆・殿上等訴状写」隼人桑幡文書など)、守護島津方となった(康安二年一〇月八日「沙弥観宗奉書」旧記雑録)。応永四年(一三九七)島津氏久方となり
平山城跡
ひらやまじようあと
平山城跡
ひらやまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報