三田村篤志郎(読み)ミタムラ トクシロウ

20世紀日本人名事典 「三田村篤志郎」の解説

三田村 篤志郎
ミタムラ トクシロウ

大正・昭和期の病理学者 東京大学名誉教授。



生年
明治20(1887)年2月16日

没年
昭和38(1963)年9月17日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治44年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正7年〕

主な受賞名〔年〕
保健文化省(第1回)〔昭和24年〕,日本学士院賞〔昭和29年〕「日本脳炎の蚊による伝播の実験的研究」,勲二等

経歴
明治44年東大青山内科入局、大正2年病理学教室に移り、3年伝染病研究所病理部、9年医学部助教授、10〜13年ドイツ留学、昭和5年教授・伝染病研究所員、10年医学部病理学講座担任。15〜19年伝染病研究所長、22年定年退官、23年名誉教授、28年日本学士院会員。日本脳炎の研究業績のほか長与又郎に協力し、恙虫病原体確定にも寄与した。囲碁将棋に長じ、チェス導入にも尽力共著「病理学総論」(全3巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三田村篤志郎」の解説

三田村篤志郎 みたむら-とくしろう

1887-1963 大正-昭和時代の病理学者。
明治20年2月16日生まれ。昭和5年東京帝大教授,のち伝染病研究所長。「日本脳炎の蚊による伝播(でんぱ)についての研究」で29年学士院賞をうけた。昭和38年9月17日死去。76歳。和歌山県出身。東京帝大卒。著作に「病理学総論」(緒方知三郎(ともさぶろう)との共著)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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