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将棋 しょうぎ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

将棋
しょうぎ

日本の室内ゲームの一つ。将棋の原型は古代インドのチャトゥランガ (4人制古代将棋) にみられ,シルクロードを通って各地に伝えられ,その土地で改良されてきた。ヨーロッパに渡ってはチェスとなり,中国においては象棋となった。

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デジタル大辞泉の解説

しょう‐ぎ〔シヤウ‐〕【将棋/将×棊】

室内遊戯の一。縦横各9列の盤上に各20枚の駒を並べて二人が相対し、互いに一手ずつ動かして相手の王将を詰めたほうを勝ちとするもの。攻め取った相手の駒は自分のものとして使用できる。インドに起こり、中国を経て奈良時代に日本に伝来したという。盤の目の数、駒の数などによって大将棋・中将棋・小将棋などの別があり、現在のものは小将棋から発達した。→将棋の駒
[補説]将棋をすることを「将棋を指す」と言う。囲碁は、「(囲)碁を打つ」と言う。

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百科事典マイペディアの解説

将棋【しょうぎ】

古くは象棋,象戯とも書いた。ルールにもとづいて盤上に並べた20枚ずつの駒(8種類あって,それぞれ異なった機能をもっている)を交互に動かし,2人で勝負を争う室内遊戯

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうぎ【将棋】

将棋駒を使った盤上遊戯。古文献には〈象戯〉〈象棋〉〈象棊〉と記されているが,本項では書名以外は〈将棋〉と表記した。今日,日本の将棋に類する遊びは世界各国で行われているが,おもなものに中国象棋(32枚の円い駒を使い,線上を動く),朝鮮将棋(八角形の駒32枚)があり,さらに将棋の発祥地であるインドからミャンマー,タイ,ベトナムに及ぶ東南アジア一帯でも行われている。また,ヨーロッパを中心に国際的な広がりをもっているチェス(西洋将棋)もその起源は将棋と同じである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

将棋
しょうぎ

将棋盤を挟み2人の競技者(対局者)がルールに基づいて勝ち負けを競う室内遊戯の一つ。相手の玉(ぎょく)(王)を早く擒(とりこ)(詰める)にしたものを勝ちとする。日本以外にもチェス(西洋将棋)、中国象棋(しょうぎ)、朝鮮将棋など各国に将棋がある。[山本亨介]

起源と歴史

将棋の誕生は文献のうえでは不詳とされている。類似の西洋将棋はインドにおこり、軍隊を構成する象、馬、戦車、歩兵の四つを駒(こま)としてさいころを用いて遊んだのが将棋の最初の形態であったというのが通説になっている。その発生期を4000年か5000年前と推定し、4世紀ごろペルシア(イラン)に渡り、チャトランガという名称で知られるようになったといわれる。チャトランガが西洋将棋の原型となり、シルク・ロードを経由して中国に伝わって中国象棋となり、日本に伝わって日本将棋になった。中国から日本に輸入されたのは8世紀ごろ、遣唐使として入唐(にっとう)した吉備真備(きびのまきび)が持ち帰ったと伝えられたが、確証はなく、それ以前に伝えられたと推定する説が有力である。
 近年、日本の各地で遺跡の発掘作業が積極的に行われ、将棋駒が数多く出土した。最古の駒は奈良市の興福寺(こうふくじ)旧境内井戸状遺構から、平安時代前期(11世紀なかば)の「天喜六年」(1058)と書かれた木簡とともに発掘され、木片に墨書されたもの。「玉将」3点、「金将」4点、「銀将」「桂馬」各1点、「歩兵」6点、不明1点の計16点で「王将」はない。興味深いのは鎌倉市の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)の境内から出土した中将棋の駒で、13世紀末から14世紀の駒と推定される。これらの出土駒によって、すでに10世紀以前から日本将棋の駒が現行のように五角形になっていたことが判明した。
 世界の将棋は、現行の駒数40枚の日本将棋を除いて、すべて駒は「取り捨て」のルールである。「再使用」のルールは現行の日本将棋だけで、このために世界中で類のない、内容の深い、おもしろいゲームになっている。
 日本の古い将棋のことは『二中歴(にちゅうれき)』に、平安時代に将棋(駒数36枚)と大将棋(駒数68枚)があったと書かれてあるが、不詳である。さらに後代の本には、小象棋(しょうしょうぎ)(縦横各9目・駒46枚)、中象棋(縦横各12目・駒92枚)、大象棋(縦横各15目・駒130枚)、大々象棋(縦横各17目・駒192枚)、摩訶(まか)大々象棋(縦横各19目・駒192枚)、泰(たい)象棋(縦横各25目・駒354枚)と書かれているが、実際にゲームが行われたのは、大・中・小の3種類の象棋だけであったと推定される。
 大将棋については、保元(ほうげん)の乱の発頭人である左大臣藤原頼長(よりなが)の日記『台記(だいき)』の康治(こうじ)元年(1142)9月12日の条に、頼長が崇徳(すとく)上皇の御前で、師仲朝臣(もろなかあそん)と大将棋を指して負けたことが記載されていた。鎌倉時代になると、藤原定家(ていか)の日記『明月記』にも将棋の記述がみえ、室町時代の『花営(かえい)三代記』には、宮中や将軍家でも盛んに将棋が行われたことが記載されている。『花営三代記』の記述は、中将棋であることが明らかである。
 下って、後崇光(ごすこう)院(貞成(さだふさ)親王)の『看聞御記(かんもんぎょき)』の永享(えいきょう)7年(1435)8月22日に、将軍足利義教(あしかがよしのり)と関白二条持基とが小象棋を指して関白が二番負けたという記述がみえ、現行将棋の母体となる小象棋が誕生していたことがわかる。これらの史料から、駒の「再使用」のルールは室町時代に誕生したと推定される。さらに京都市の鳥羽(とば)離宮跡から出土した駒は13世紀後半から14世紀中期のもので、この出土駒によっても室町時代に新ルールの現行将棋が誕生していたことを知ることができる。
 安土(あづち)・桃山時代になると、武将たちが好んで将棋を指したことが記録され、織田信長、豊臣(とよとみ)秀吉、徳川家康は将棋師に禄(ろく)を与えて保護奨励した。松平家忠(いえただ)の『家忠日記』の天正(てんしょう)15年(1587)2月下旬の条には、将棋の駒組み図の書き込みがあり、1607年(慶長12)には、大橋宗桂(そうけい)と本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)との対局譜(対局の記録)が残されているが、これが現存する最古の棋譜である。
 1612年(慶長17)宗桂は家康から50石五人扶持(ぶち)を賜り、のち、算砂が兼任していた将棋所(しょうぎどころ)(名人の別称)を譲られて1世名人となった。1634年(寛永11)1世名人宗桂が没し、その子大橋宗古(そうこ)が2世名人を継いだ。その翌年、将棋家は大橋本家、同分家、伊藤家の3家となり、江戸幕府から将棋役(やく)として改めて20石を賜り、将棋家の世襲制が確立した。1636年現行のルールや禁じ手が成文化され、1662年(寛文2)には寺社奉行(ぶぎょう)の支配に属することになった。将棋所は将棋三家から選ばれ、将棋三家の者は毎年11月17日、江戸城の黒書院(くろしょいん)で将軍家に対局譜を披露する「御城(おしろ)将棋」の行事を勤めた。この行事は1861年(文久1)まで続き、将棋所は、1843年(天保14)10世名人伊藤宗看(そうかん)が死んだあとは空位のまま明治の時代を迎えた。
 明治時代は将棋界の受難期で、一部の将棋指(さ)しは賭(かけ)将棋にふけって世間の非難を浴びたが、旧将棋家の人々は自力で再建に立ち上がり、将棋会所(かいしょ)を設けて普及に努力した。1879年(明治12)10月、旧将棋家の伊藤宗印(そういん)が11世名人を継ぎ、さらに2年後には『将棋新報』を発行して再建を軌道にのせた。1893年に宗印が没し、1898年には小野五平が12世名人を襲位した。1921年(大正10)に小野が没し、関根金次郎が13世名人を襲位した。これに不満を抱く阪田三吉がかってに大阪で名人を唱え、将棋界は各派に分かれて対立したが、1924年、各派の対立を解消して東京将棋連盟が結成された。
 1935年(昭和10)将棋界は、従来の終身名人制を廃して実力によって名人を決める「実力名人制」の採用に踏み切った。将棋史上で画期的なできごとであり、新しい実力名人を選ぶためにリーグ戦を開始し、第1期の実力名人は関根門下の木村義雄(よしお)が獲得した。こうして隆盛をたどる将棋界は第二次世界大戦で棋戦が中断され、苦難のなかで終戦を迎えたが、翌1946年(昭和21)には早くも再建に立ち上がった。時の名人木村義雄の発案で、順位戦の新制度を採用した。所属棋士をA・B・Cに分けてランキングを決め、A級第1位を名人戦の挑戦者とし、名人位も1期を1年(戦前は2年)とするなどの大改革であった。この順位戦という新しい制度は全棋士を奮い立たせ、戦後の将棋界は将棋史上に例をみない黄金時代を築くことになった。[山本亨介]

現況

1949年(昭和24)、日本将棋連盟は社団法人の認可を受けて組織が確立、おもな新聞社、放送局、週刊誌と棋戦の契約を結んで財政基盤も強化されて、発展を遂げた。とくに次の七大棋戦を公式タイトル戦とよび、優勝者はタイトル保持者として優遇される。(1)名人戦(名人を決める)、(2)竜王戦(竜王を決める)、(3)王将戦(王将を決める)、(4)王位戦(王位を決める)、(5)棋聖戦(棋聖を決める)、(6)棋王戦(棋王を決める)、(7)王座戦(王座を決める)。
 タイトル戦に匹敵する大型棋戦に全日本プロトーナメントがあったが、2001年(平成13)から朝日オープン将棋選手権に変わった。
 1951年(昭和26)に始まったラジオによるNHK杯戦が1962年(昭和37)にテレビ放送に切り替わり、画面で専門棋士の対局を見せる新しい道を開拓した。
 最高棋戦の名人戦は第二次世界大戦前・後を通じて木村義雄が名人位をほぼ独占したが、1952年(昭和27)大山康晴(やすはる)が木村を倒して実力制3人目の名人になった。名人5期以上は永世名人の規定により、木村は引退して14世名人を襲位した。大山は通算18期の名人位保持の記録をつくり、1976年、現役のまま15世名人を名のる。そのタイトル獲得は計80期に達し、大山時代を築いた。
 1972年、中原誠(まこと)が大山を下して24歳で名人位につき、1983年には21歳の谷川浩司(たにがわこうじ)が加藤一二三(かとうひふみ)名人を破って史上最年少の名人になった。その後、名人通算15期の中原は16世名人の、通算5期の谷川は17世名人の資格を獲得した。
 1988年、十段戦が竜王戦に生まれ変わり、名人戦と肩を並べる最高棋戦になった。初代竜王は島朗(あきら)。翌1989年(平成1)、19歳の羽生善治(はぶよしはる)が島に勝って竜王位に就いた。羽生は1996年、谷川から王将位を奪い、全タイトルを制して史上初の七冠王になった。
 女流プロ名人位戦を皮切りに女流棋戦も女流王将戦、女流王位戦、倉敷藤花(くらしきとうか)戦と増え続け、2000年(平成12)、清水市代(いちよ)が女流最高の6段に昇った。
 将棋戦術も飛躍的な進歩を遂げ、新手法も次々に生まれた。第二次世界大戦後、「腰掛銀(こしかけぎん)戦法」が流行し、続いて古くからあった「矢倉戦法」「振飛車(ふりびしゃ)戦法」が装いも新たによみがえって主流を占めた。さらに戦前はなかった「縦(たて)歩取り戦法」「穴熊(あなぐま)戦法」が台頭し、「横歩取り戦法」や「四間飛車(しけんびしゃ)戦法」にも画期的な指し方が現れ、高度の技術が駆使されるに至った。これにつれて将棋関係本の出版も活発になり、将棋ブームを形づくった。
 アマチュア棋界も年ごとに発展した。小・中・高校に将棋クラブが誕生し、将棋を正課に採り入れる高校も出てきた。「高校選手権戦」「高校竜王戦」「中学生名人戦」「小学生名人戦」も生まれた。第二次世界大戦前から続く「大学将棋」「全日本アマ名人戦」のほか、「アマ王将位戦」「アマ竜王戦」「朝日アマ名人戦」「日本将棋連盟全国支部対抗戦」「職域団体対抗戦」も行われている。
 将棋を愛好する女性も急増し、「女流アマ名人戦」などを経て女流プロ棋士を目指す女性も多い。
 全国の将棋ファンは1000万人とも2000万人ともいわれ、国内に結成された日本将棋連盟の支部は700を超し、会員は2万人近くに達している。海外への普及も著しく、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、上海(シャンハイ)、バンコクなど30の将棋連盟支部がある。
 コンピュータの発達、普及とともに、コンピュータで将棋を楽しむファンが急増。コンピュータの棋力がプロ棋士にいつ追いつき、追い越すかが話題になっている。[山本亨介・田辺忠幸]

競技方法

将棋は2人の競技者(先手側と後手側)が、それぞれ働きの異なる8種類、計40枚の駒をルールに従って交互に指し(動かし)、最終的に相手の玉(王)を詰めたほうが勝ちとなる。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
駒の名称
駒の名称と略称は次のとおり。玉将(ぎょくしょう)(玉)または王将(おうしょう)(王)、飛車(ひしゃ)(飛)、角行(かくぎょう)(角)、金将(金)、銀将(銀)、桂馬(けいま)(桂)、香車(きょうしゃ)(香)、歩兵(ふひょう)(歩)の8種類で、玉(王)と金以外の駒は、敵陣(3段目以内)に入るかあるいは敵陣内で動くと「成る」ことができ、駒の働きが異なってくる。成る場合には駒を裏返すが、呼び名が変化する。成り駒の名称と略称は次のとおり。飛車→竜王(竜)、角→竜馬(馬)、銀→成(なり)銀、桂→成桂、香→成香、歩→と(と金)。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
盤面の読み方
盤面の枡目(ますめ)は、縦が9格、横が9格で計81格。縦の筋を算用数字、横の段を漢数字で表す。先手(図A(1)の手前)を基準として、縦の筋は右から左へ1から9まで、横の段は上から下へ一から九までの番号をつけてよび、その座標で枡目の位置を示す。その場合、縦の算用数字を先に横の漢数字をあわせて読む。図A(1)で1一香、5九玉、8二飛、8八角と読み、その地点にその駒があることを示す。また駒の動きは、次の停止地点の座標の数字で駒の動きを表す。たとえば図A(1)で5五角といえば、8八角が5五まで進出したことを示す。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
駒の並べ方
最下段の中央に玉(王)、以下左右に金銀桂香の順序で並べ、2段目に飛と角、3段目に歩を9枚並べる。江戸時代の将棋家元では図A(2)の順序で並べていた。現在でもその慣習は残っているが、通常、上手(うわて)が上座につき、王と玉がある場合には、上手が王を置いてから、下手(したて)が玉を置き、あとは双方が自由に並べている。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
駒の働きと動かし方
8種類の駒はそれぞれ独自の動きをする。図B(1)は玉(王)、金、銀の動きを示す。玉は周囲全部一つずつ動き、金は斜め下、銀は横と真下に動けない。玉は絶対的な駒であり、これが詰められたら負けとなる。通常、金は玉の守りにつく駒だが、敵玉に決定打を与えることも多い。銀は進退が速やかで攻め駒として重要な働きをする。図B(2)は桂、香、歩の動きを示す。桂は前1間から斜め左右に動く独特の駒で、駒を跳び越えることができるので、跳(は)ねるあるいは跳(と)ぶといい、攻撃には欠かせない駒である。香は別名、槍(やり)ともいわれ、その筋の奥まできく。歩は前方に一歩一歩進む。歩は使用頻度が多く、使い方によって局面を大きく左右する。桂、香、歩は前に進むが、後退はできない。図B(3)は銀、桂、香、歩が成り駒となった場合の動きを示す。成銀、成桂、成香、と(と金)は、すべて金と同じ働きをする。成る、不成(ならず)は自由で、通常成ったほうが効率がよいが、局面によっては成らずに使ったほうが効果的な場合がある。図B(4)は飛車と、飛車が成った竜の動きを示す。飛車は縦と横にどこまでもきく。竜は飛車の力に加えて斜め四方に1格ずつきき、飛車あるいは竜は、敵陣内で使うと大きな効果を発揮する。敵陣内の駒をとって暴れまくり、敵玉を寄せる際の主役となる駒である。図B(5)は角と、角が成った馬の動きを示す。角は斜め四方にどこまでもきき、馬は角の力に加えて上下・左右に1格ずつきく。角も飛と同様重要な攻め駒で、とくに馬になったときは竜に勝るとも劣らない強大な力を得る。さらに馬は自陣に引き付けて使うと効果的なことが多い。「竜は敵陣に、馬は自陣に」という格言がある一方、「馬の守りは金銀3枚に匹敵する」ともいわれる。なお、金・銀・桂・香・歩を小駒(こごま)、対して飛・角を大駒(おおごま)という。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
将棋の規則
将棋を指す場合、日本将棋連盟により決められた規約に従わなければならない。規則(禁じ手)を最初に成文化したのは2世名人大橋宗古である。おもな規約は次のとおりである。
〔1〕交互に指す 先手と後手が1手ずつ交互に指し、2手続けて指すと「二手指し」の反則。
〔2〕駒を取る 味方の駒のきき筋に敵の駒がいるときは、味方の駒をその位置まで移動させて敵駒を取ることができる。
〔3〕持駒(もちごま) 取った駒は持駒となり、味方の駒として、手番のときに盤上へ打つことができる。
〔4〕王手(おうて) 玉が次に取られる状態をいう。玉は絶対的な駒であり、王手をかけられた側は、逃げる、合駒(あいごま)をする、あるいは王手となった元の駒を取ることによって、王手を解消しなければならない。
〔5〕詰み 最終的に玉が王手を解消できなくなった状態で、将棋の最終目的は相手の玉を詰めることにあり、玉が詰んだ時点で勝敗が決まる。
〔6〕禁じ手 二歩(にふ)の禁 縦の筋に味方の歩がある場合、その筋に歩を打ってはいけない。行きどころのない駒の禁 敵陣の1段目に桂、香、歩を打ってはならない。桂の場合は2段目もいけない。その地点に進む場合には、かならず成らなければいけない。打ち歩詰めの禁 最終的に歩を打って詰めてはいけない。図C(1)は打ち歩詰めの例。先手から後手王に2二歩とは打てない。また後手から先手玉に8五歩とは打てない。盤上の歩を突いて詰めるのは「突き歩詰め」といって、禁じ手ではない。また玉に逃げる余地があれば、歩を打って王手をしてもよい。
〔7〕千日手(せんにちて) 同手順を繰り返すことを千日手という。同一局面が4回できて、盤面と持駒と手番(指す番)が変わらない場合は、その時点で無勝負とし、改めて先手、後手を交替して指し直す。図C(2)下は後手番として7八金、同金、6七金と迫る。先手は7九金打と受けるほかない。そこで後手は7八金、同金、6七金と迫り、先手はふたたび7九金と打つ。図C(2)上も後手番で5三歩、同歩成、5二歩、5四歩とすれば、同手順が無限に続く形である。ただし連続王手の千日手は無勝負とせず、3回同手順を繰り返したところで、王手をかけている側を負けとする。すなわち千日手不成立である。図C(3)で先手番2一角成、2三玉、3二馬、1二玉、2一馬、2三玉……とすれば同手順が無限に続くが、連続王手のため、攻めている方が手を変えなければならない。
〔8〕持将棋(じしょうぎ) 玉が敵陣に入った場合を入玉(にゅうぎょく)といい、双方の玉が入玉して詰める見込みがなくなったときは、双方の駒数で勝敗を判定する。その場合、双方の駒数が規定の枚数に達していれば、持将棋といって引き分けにする。駒数とは盤上の置き駒と持駒との合計数であるが、玉は計算に入れない。持将棋規定は次のとおり。大駒(飛・角)を5点、小駒(金・銀・桂・香・歩)を1点とし、合計24点以上あればよい。双方24点以上なら持将棋が成立。片方が24点に満たない場合は負けとなる。図C(4)は双方が入玉した一例で、双方玉を詰める見込みがなく、ここで駒数を判定する。先手は大駒3枚(15点)、小駒16枚(16点)で合計31点で、条件を満たしている。後手は大駒1枚(5点)、小駒18枚(18点)で合計23点で、規定の24点に満たず、図C(4)は持将棋が成立せず、先手の勝ちである。持将棋が成立した場合は無勝負、先後を交替して指し直しとするが、タイトル戦の場合は持将棋局も1局とみなす。たとえばタイトル戦七番勝負の第7局目で持将棋が成立したとき、次の指し直し局は第7局の指し直しではなく、第8局として記録される。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

各種戦法

将棋を指すことを手合(てあい)または対局(たいきょく)という。1局の将棋は序盤、中盤、終盤の三つの戦いに大別される。序盤は攻撃、玉の守備を含め、よりよい位置に各駒を配置して陣形を作る駒組み戦である。攻撃形は飛・角・銀・桂が中心となり、守備は玉の周囲に金・銀3枚を配置するのが理想とされる。攻守ともにすきのない陣形を組むことはいうまでもなく、とくに玉の安泰は勝負の要件である。このことを「玉を囲う」という。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
玉の囲い方
代表形は矢倉(やぐら)囲いと美濃(みの)囲いである。矢倉囲いには金矢倉、銀矢倉、総矢倉、片矢倉、流れ矢倉、銀立ち矢倉、菱(ひし)矢倉などがある。また美濃囲いには本(ほん)美濃囲い、その発展形としての高美濃(たかみの)囲い、銀冠(ぎんかんむり)囲いなどがある。ほかに穴熊(あなぐま)囲い、蟹(かに)囲い、雁木(がんぎ)囲い、船(ふな)囲いなどがある。玉の囲い方がそのまま戦法にもつながるものがあり、双方矢倉に囲う形は矢倉戦法あるいは相(あい)矢倉戦という。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
戦法
飛車の位置によって、居飛車(いびしゃ)戦法(図D)、振飛車戦法(図E)に大別される。居飛車では矢倉戦法、腰掛銀戦法、棒銀(ぼうぎん)戦法、横歩取り戦法、縦歩取り戦法などがあり、振飛車では中(なか)飛車、四間飛車、三間飛車、向(むかい)飛車がある。穴熊にも居飛車穴熊と振飛車穴熊がある。そのほかにも袖(そで)飛車、位(くらい)取り、石田(いしだ)流、筋違い角など、局面に応じて緩急さまざまの戦法が用いられる。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

実戦の心得

将棋上達の心得としては、定跡により調和のよい駒組みを学ぶ、手筋を多く知って乱闘を臨機応変に戦う、一つだけでも高級な得意な戦法をもつ、自分より強い人と指して長所を吸収する、などがたいせつである。
 手の読み方は、こうやる―こうくる―そこでこう指すと3手先を考えて着手する「三手の読み」が読みの基本であり、2手目の相手の最善手を考える。将棋は人知では解決できない深さをもち、悪手で勝負がつく知能ゲームで、悪手を指さない心の修業がたいせつである。恐れず、あせらず、喜びすぎず、冷静に1手として価値のある手を指す。心得ておくとよい基本を10項目に要約すれば、(1)攻めは飛・角・銀・桂・歩の協力、(2)玉の守りは金・銀3枚、(3)玉と飛車は反対の位置に、(4)歩をたいせつに有効に使え、(5)勝負どころに勝負手を指せ、(6)遊び駒を活用せよ、(7)次の好手をねらえ、(8)捨てる手筋を考えよ、(9)玉は包むように寄せよ、(10)局後に反省せよ、などが考えられ、格言的な言い方ではあるが、これをできるだけ実戦に役だてることが要諦(ようてい)である。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

段級位の仕組み

段は数が多いほど高く、級は数が少ないほど上級である。プロの段級位とアマチュアの段級位とは内容が異なり、通常アマチュアの四段、五段がプロの4級、5級くらいに相当する。プロは6級を基点として順次昇級し、1級の次は初段となる。現在の最高段は九段である。以前は八段が最高位とされ、九段は名人と同義とされていたが、第二次世界大戦後「九段戦」が創設され、4期連続優勝した塚田正夫八段が初の永世九段となった。その後大山康晴、升田幸三の両八段が抜群の強さを示したので、「名人2期、A級順位戦の好成績者に九段」の制度を創設し、3名の九段が誕生した。その後1973年(昭和48)新たに点数制の九段昇段規定がつくられた。さらに1984年に名人獲得者は1期、タイトル獲得者は3回(名人挑戦者はタイトル1回と同じ扱い)、八段に昇段してから250勝した者は九段に昇段することに改められた。さらに竜王2期で九段が追加された。ほかに引退棋士の昇段は理事会で判断することになった。
 八段以下の昇段は順位戦の成績によるほか、各段位別に一般棋戦を含めた公式戦で得た勝ち星の総数による昇段制度が決められた。順位戦の昇段は5段階に分けたリーグ戦によって決める。C級2組は四段、1年間の成績で上位3名がC級1組に昇進して五段になる。以下、順次C級1組は2名がB級2組で六段、B級1組は2名がB級1組で七段、B級1組は2名がA級に上がり、八段に昇段する仕組みになっている。A級順位戦優勝者は名人挑戦者となる。
 このほかに、1985年4月から、公式戦の総合勝ち星で昇段する制度が確立された。各段位別の昇段勝ち星は次のとおり。
 四段から五段には100勝が必要で、順次、五段から六段は120勝、六段から七段は150勝、七段から八段は190勝、八段から九段は250勝である。四段以上が選手として公式棋戦に出場する権利があり、三段から6級までは「新進棋士奨励会」の一員として、修業中の立場とみなされる。
 一般アマチュアの場合は日本将棋連盟によって段級位を認定され、規定の免状料を納めれば免状を取得できる。段位認定の基準は、県の最強者である「県名人」クラスが四段、日本一の「アマ名人」クラスが六段であり、該当者にはそれぞれの段位が授与される。1982年全日本アマ名人3回獲得者と歴代アマ名人戦優勝者に七段を贈る規定がつくられ、アマチュアの最高段は六段から七段に格上げされた。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

段級差と手合割り

プロの公式戦はすべて平手(ひらて)戦を採用しているが、奨励会対局と一般アマチュアの対局には段級位の差に応じて、上位者が駒を落として指すことがある。これを駒落ち、あるいは手合割りという。手合割りは現在のところ不統一であるが、日本将棋連盟道場の現行規定では(1)一段(級)差―下手先、(2)二段(級)差―香落(左香を落とす)、(3)三段(級)差―角落、(4)四段(級)差―飛落、(5)五段(級)差―飛香落(飛と左香)、(6)六・七段(級)差―二枚落(飛と角)となっている。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
対局と観戦の心得
(1)盤に相対するとき、上位者または目上の者が上座につく。(2)駒を並べるとき、駒箱から駒を出すのは上座に着いた者がする。王は上手、玉は下手が持つ。上手が王を置いたことを確認してから下手が玉を置く。(3)駒落ちの場合、まず平手の形ですべての駒を並べ、そのあと上手が落とすべき駒を駒箱にしまう。駒落ちはかならず上手の先番とする。(4)先後の決定は、平手で先手・後手を決める場合、記録係がつくときは記録係が上手の並べ終わった歩を5枚振り、表の歩が多ければ上手の先手、裏のと(と金)が多ければ下手側の先手とする。記録係がつかないときは対局者自身の手で行い、歩が多く出れば振ったほうの先手、と(と金)が多く出れば相手の先手とする。これを「振り駒(ふりごま)」という。
 対局と観戦の心得として昔からとくに禁じられている2点は「待った」と「助言」である。観戦中、好手を発見しても対局中は発言すべきでなく、終局後、感想戦に加わって自分の意見を述べるのが常識である。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

棋士の生活

日本将棋連盟所属の現役棋士は約150人(2000年現在)で、名人を頂点に九段から四段までの棋士で構成されている。各報道機関と契約して棋戦を組み、対局料は契約金から支払われる。棋戦によって契約金に差があり、個人の対局料も段位、順位戦の地位、また勤続年数から計算される。高段、高位ほど対局料が多いのはいうまでもないが、勝ち進めば対局数が増えるため、おのずと対局収入が増えていく。対局料のほか、棋士には日本将棋連盟より給料が支払われる。そのほかに普及指導、講演、執筆、テレビ出演などの副収入もあり、棋士の生活は近年、安定・向上の傾向にある。1974年(昭和49)に女流プロの棋戦が創設され、2000年現在、女流棋士は40人を超えて人気が高まっている。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]
棋士志望の条件
棋士になるには日本将棋連盟所属の四段以上の棋士に師事し、奨励会の入会試験を受けなければならない。試験は、奨励会員との対局、筆記試験、書類選考の3段階があり、棋力、年齢、健康、性格、家庭状況、学力を調査したうえで合否を決める。そのうち棋力がもっとも重要な評価対象となるが、10歳前後でアマチュア四段程度の実力が必要とされる。奨励会は日本将棋連盟の付属機関であるが、会員は棋士とはみなされず、対局料、給料は支給されない。6級から三段までで構成され、月2回の奨励会対局で昇級昇段を競う。規定の成績を収めれば順次昇進していき、成績が悪いと降級もありうる。奨励会も明確な勝負の世界であり、そのなかで四段以上のプロ棋士となるのは一部である。奨励会には年齢制限があり、原則として21歳の誕生日までに初段、26歳の誕生日までに四段に昇段しない場合は退会を余儀なくされる。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

将棋用具

将棋盤、駒、駒台をあわせて一組になる。盤の寸法は、幕府の将棋所で、縦1尺1寸8分、横1尺8分、厚さ3寸8分、足の高さ3寸と決められていたが、現在は「尺一、尺二」といって、横1尺1寸(約33センチメートル)、縦1尺2寸(約36センチメートル)が標準とされる。厚さに規定はなく、厚いものほど価値があるとされている。公式戦では六寸盤(約20センチメートル)を使用することが多く、まれに八寸盤も使われる。材質はカヤ(榧)が最上とされ、色が美しく、弾力性に富み疵(きず)がついても復原力がある。とくに柾目(まさめ)の盤は珍重される。そのほか、銀杏(いちょう)、桂(かつら)などがある。盤の足の長さは、厚さによって決められる。足の形は、助言を禁じ、クチナシ(梔)の花を模したと伝えられているが、俗説である。また盤の裏には約10センチメートル四方のへそが彫られている。助言者の首を置くためのものといわれるが、これも俗説で、駒を打ち下ろしたときの響きぐあいや盤の反りを防ぐためのものである。
 駒はツゲ(黄楊)材が最上とされ、ほかにツバキ(椿)、マキ(槙)、ヤナギ(柳)などがある。柾目や虎斑(とらふ)のツゲ駒は珍重される。文字は、彫ったところに漆を埋め、その上にさらに漆を盛り上げる盛上げ駒が最高級品で、以下、彫埋め、彫り駒、書き駒(番太郎駒)と続く。普及駒は山形県天童市で90%以上が生産される。駒の書体は30種ほど伝えられているが、一般には錦旗、水無瀬(みなせ)、菱湖(りょうこ)、清安(きよやす)などが知られている。駒台は持駒を置く台である。クワ(桑)材が最上で、他の材質も使われる。盤、駒の手入れには植物性の油を湿した布でふき、そのあと油けをふき取る。直射日光と風に当てるのはよくない。[山本亨介・原田泰夫・田辺忠幸]

おもなタイトル戦

プロ棋士が行う公式戦は対局数や日数、持ち時間、秒読み開始時間などがタイトルによって異なる。タイトル戦では予選によってタイトル保持者に対する挑戦者を決定し、七番または五番勝負で勝敗を決することが多い。おもなタイトル戦のうち、竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖は七大タイトルとよばれ、現役男性棋士全員に参加資格があり、一定の条件下で女流棋士やアマチュアが参加するものもある。七大タイトルを同時に保持することを七冠と称し、1995年に羽生善治が達成している。生涯通算で七大タイトルを制することはグランドスラムとよばれ、羽生のほかには1991年に谷川浩司(1962― )が達成しており、また1987年に終了した十段が竜王の前身であることから中原誠も達成者(1983年)とみなされることがある。これらのタイトルは5期連続または通算10期獲得など一定の条件を満たすことで、引退後(または60歳を過ぎた後)に永世竜王といった永世称号を名乗ることができる。もともと将棋の家元名であった名人に限り、代数を入れて「○○世名人」と名乗る。1935年に関根金次郎が名人位世襲制を廃してから2015年までに、木村義雄(14世)、大山康晴(15世)、中原誠(16世)が通算5期獲得によって名人を襲位しており、条件を満たしている谷川浩司(17世)、森内俊之(18世、1970― )、羽生善治(19世)も引退後に襲位することが決定している。
 女流プロ棋士の公式戦では女王、女流王座、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花があり、このうち女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花は5期連続獲得で男子の永世称号に相当するクイーン位を名乗ることができる。女王と女流王座は2000年代に入ってからの創設と新しいこともあって2014年までに女流六冠達成者はおらず、里見香奈(1992― )が五冠を獲得(2013年)したのが最高記録である。
竜王戦
九段戦(1950~1961年開催)、十段戦(1962~1987年開催)を前身とし、1988年に創設された。読売新聞社主催。優勝賞金4200万円。挑戦手合七番勝負。全棋士と女流棋士4名、アマチュア5名が6組に分かれてランキング戦を行い、上位者11名による決勝トーナメントで挑戦者を決定する。持ち時間は8時間。初代は島朗(1963― )。
名人戦
1935年創設。毎日新聞社、朝日新聞社主催。挑戦手合七番勝負。順位戦とよばれる予選のA級棋士10名の中から挑戦者を決定する。持ち時間は9時間。初代は木村義雄。
王位戦
1960年創設。新聞三社連合主催。挑戦手合七番勝負。全棋士と女流棋士2名による予選トーナメントを行い、その勝ち上がり者とシード棋士によるリーグ戦で挑戦者を決定する。持ち時間は8時間。初代は大山康晴。
王座戦
1953年創設。日本経済新聞社主催。挑戦手合五番勝負。全棋士と女流棋士4名による一次、二次トーナメント戦の勝ち上がり者とシード棋士によるトーナメント戦で挑戦者を決定する。持ち時間は5時間。初代は大山康晴。
棋王戦
1974年創設。共同通信社主催。挑戦手合五番勝負。全棋士と女流名人、アマ名人が参加して予選を行い、予選通過者32名によるトーナメント戦で挑戦者を決定する。持ち時間は4時間。初代は内藤國雄(1939― )。
王将戦
1950年創設。スポーツニッポン新聞社・毎日新聞社主催。挑戦手合七番勝負。全棋士による予選トーナメントの勝ち上がり者とシード棋士によるリーグ戦で挑戦者を決定する。持ち時間は8時間。初代は升田幸三。
棋聖戦
1962年創設。産経新聞社主催。挑戦手合五番勝負。全棋士と女流棋士2名による一次、二次トーナメント戦の勝ち上がり者とシード棋士によるトーナメント戦で挑戦者を決定する。持ち時間は4時間。初代は大山康晴。
女王戦
2008年創設。大会名はマイナビ女子オープンで、マイナビ、日本将棋連盟主催。挑戦手合五番勝負。女流棋士によるトーナメント戦で挑戦者を決定する。優勝賞金500万円。初代は矢内理絵子(1980― )。
女流王座戦
2011年創設。リコー主催。挑戦手合五番勝負。女流棋士と日本将棋連盟所属の女性奨励会員、女流アマチュアで予選を勝ち抜いた者による予選トーナメントにより挑戦者を決定する。持ち時間は3時間。優勝賞金500万円。初代は加藤桃子(1995― )。
女流名人戦
1974年創設。報知新聞社主催。挑戦手合五番勝負。全女流棋士による予選トーナメントの勝ち上がり者とシード棋士によるリーグ戦で挑戦者を決定する。持ち時間は3時間。初代は蛸島彰子(1946― )。
女流王位戦
1990年創設。新聞三社連合主催。挑戦手合五番勝負。予選トーナメントの勝ち上がり者とシード棋士によるリーグ戦で挑戦者を決定する。持ち時間は4時間。初代は中井広恵(1969― )。
女流王将戦
1978年創設。囲碁将棋チャンネル主催。挑戦手合三番勝負。女流棋士と選抜された女流アマチュアによる予選トーナメントの勝ち上がり者とシード棋士によるトーナメント戦で挑戦者を決定する。持ち時間は25分。初代は蛸島彰子。
倉敷藤花戦
1993年創設。倉敷市、倉敷市文化振興財団、山陽新聞社主催。挑戦手合三番勝負。全女流棋士によるトーナメント戦で挑戦者を決定する。持ち時間は2時間。初代は林葉直子(1968― )。[編集部]
『木村義雄著『名人木村義雄実戦集』(全8巻・1972~1982・大修館書店) ▽山本亨介著『将棋文化史』(1980・筑摩書房) ▽原田泰夫・天狗太郎著『将棋名勝負物語』(1980・時事通信社) ▽山本武雄著『将棋百年』(1985・時事通信社) ▽増川宏一著『将棋』(1985・法政大学出版局) ▽加藤治郎・原田泰夫・田辺忠幸著『〔証言〕将棋昭和史』(1999・毎日コミュニケーションズ) ▽増川宏一著『将棋の駒はなぜ40枚か』(2000・集英社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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