三町分村(読み)さんちようぶんむら

日本歴史地名大系 「三町分村」の解説

三町分村
さんちようぶんむら

[現在地名]飯盛町平古場名ひらこばみよう開名ひらきみよう中山名なかやまみよう山口名やまぐちみようなど

うら村のうちで、三丁分村とも記され、たんに三町分ともいう。諫早いさはや郷に属する。村域はつまびらかではなく、現在の山口名・平古場名・開名・中山名などが想定される。正保国絵図元禄国絵図や天保郷帳には村名がみえず、江ノ浦村に含まれていたとみられるが、肥前佐賀領内で通用する書上類では六町分村とともに独立して記載されており(嘉永七年佐賀領郷村帳など)、江ノ浦村を構成していた。

江戸時代は一時期を除き佐賀藩親類同格の諫早家領。元禄年間(一六八八―一七〇四)の鍋島綱茂領中配分石高帳(長崎図書館蔵)では「三丁分村」とあり、地米高二五七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む