三立崎保(読み)みたさきほ

日本歴史地名大系 「三立崎保」の解説

三立崎保
みたさきほ

釜口(かまぐち)の海岸沿い、八幡神社のある地は三立崎と称され(味地草)、その一帯に比定される。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文に三立崎保とみえ、田二七町一九〇歩(うち除田二町九反小、残田二四町一反七〇歩)・畠二六町三反三〇歩(うち除畠三反、残畠二六町三〇歩)で構成される津名郡内の国領。地頭として記された三沢右馬允は梶原景時討伐の功により駿河国より入部した武士で、承久の乱後も同郡内の生穂(なまりほ)庄(現津名町)地頭も兼帯していた。正和元年(一三一二)五月八日の六波羅下知状(九条家文書)によれば、三立崎保一分地頭三沢氏は同郡内の京都東福寺領都志(つし)郷(現五色町)に地頭得分をもっており、東福寺雑掌忍覚の得分未進を六波羅探題に訴え、却下されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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