日本歴史地名大系 「三間通村」の解説 三間通村みつまどおりむら 山形県:南陽市三間通村[現在地名]南陽市三間通二色根(にいろね)村の北西に接し、宮内(みやうち)村への吉野(よしの)川左岸の道に沿う。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高七三一石余、免一ツ五分、家数二九(うち役家二、肝煎一)、人数一一六、役木として青苧をあげる。蒲生氏高目録帳では村柄は下。上杉領村目録によると高一千二九二石余、本免一ツ九分七厘四毛。反別は田八〇町九反余・畑一四町一反余(天明二年改)、家数二九・人数一七〇、馬二三。漆木は六八三本、うち百万本口四一九、真綿は御買綿三五匁余のほか八匁余、畝苧七八〇匁・相場苧七〇〇匁、蚕利五〇両。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by