上ノ丁(読み)かみのちよう

日本歴史地名大系 「上ノ丁」の解説

上ノ丁
かみのちよう

[現在地名]高梁市伊賀町いがまち

秋葉あきば山の南麓、頼久らいきゆう寺の東側にあった家中屋敷町。藩主石川総慶時代には御前おんざき神社神官の屋敷、梅岸ばいがん寺、長州ちようしゆう寺、頼久寺所有地、畑などがあったが(「松山城下絵図」三重県亀山市立図書館蔵)、板倉勝澄入部後にこれらを移転させ、家中屋敷が置かれた。屋敷は東西に走る長さおよそ四〇間の道を挟んで並んでおり、幕末には南側に四軒、北側に四軒および真孝流柔術稽古所(織田杢兵衛師範)があった(「松山城下屋敷図」高梁市立図書館蔵)。石川氏時代にあった梅岸寺・長州寺は、石川氏とともに伊勢亀山かめやま(現亀山市)へ移ったようで、板倉氏時代にはその跡地に矢場が設けられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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