上一分村(読み)かみいちぶむら

日本歴史地名大系 「上一分村」の解説

上一分村
かみいちぶむら

[現在地名]笹神村上一分

北のじんヶ峰と真光寺しんこうじ山の谷間に位置し、北は沢口新さわぐちしん村、西は堤新つつみしん村、北西下一分村。村域を折居おりい川が西北流する。正保国絵図には「上一分潟村」とみえ、高四〇〇石余で村上藩領。寛文一三年(一六七三)の組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)に村名があり、笹岡組に属する。宝永四年(一七〇七)頃の元笹岡組御巡見御案内帳(渡辺家文書)では高四九一石八斗余・田畑反別四二町六反二畝余とあり、家数三八、男一三四・女一四〇。享保九年(一七二四)の村明細帳(石塚千秋氏蔵)によれば高四九一石余・田畑反別四二町六反余、泉秀院に四畝の除地が認められ、家数五五(うち寺一)、馬一九・犬九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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