下一分村(読み)しもいちぶむら

日本歴史地名大系 「下一分村」の解説

下一分村
しもいちぶむら

[現在地名]笹神村下一分

北の陣(じん)ヶ峰の西麓にあり、南東は上一分村、北西は長起新(ながおきしん)村。村内を折居(おりい)川が北西流する。正保国絵図には「下一分潟村」とあり、高四三〇石余で村上藩領。寛文一三年(一六七三)の組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)に村名があり、笹岡組に属する。寛保二年(一七四二)の村明細帳(石塚千秋氏蔵)では高五五一石余・田畑反別四五町一反三畝余、家数七一、男一八二・女一六四。刈敷は福島(ふくしま)潟(現豊栄市)べりの入会地より刈取った。入会組合は上一分村・村岡(むらおか)村・蔵野新(くらのしん)村・牧野新(まきのしん)村・熊堂(くまどう)村・西野新(にしのしん)村・山倉(やまぐら)村・関口新(せきぐちしん)村・沖(おき)村および当村の一〇ヵ村。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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