上三草村(読み)かみみくさむら

日本歴史地名大系 「上三草村」の解説

上三草村
かみみくさむら

[現在地名]社町上三草

千鳥ちどり川の支流三草川の流域に位置し、村の中央を中世までの幹道である丹波道が通る。北は枝郷山口やまぐち村、南西は下三草村。村のほぼ中央に三草藩陣屋のある三草町を抱いている。鎌倉時代から三草の地名みえ、三草山西方の現社町上三草・山口付近に比定される。「吾妻鏡」寿永三年(一一八四)二月五日条によると、平資盛以下が三草山の西に着き、同山の東に布陣した源義経方が夜襲をかけている。上三草には、鎌倉前期の様式をもち、この合戦の戦死者の供養塔と思われる県指定文化財の中村家五輪塔がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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