加東郡(読み)かとうぐん

日本歴史地名大系 「加東郡」の解説

加東郡
かとうぐん

面積:一五七・四九平方キロ
東条とうじよう町・やしろ町・滝野たきの

県の中央部やや南東寄りに位置する。北は西脇市、東は篠山市・三田市・美嚢みのう吉川よかわ町、南は三木市・小野市、西は小野市・加西市。古代は賀茂かも郡の一部で(→賀茂郡、「和名抄」所載の同郡九郷のうち穂積ほづみ郷・川内こうち郷・住吉すみよし郷・川合かわい郷・大神おおみわ郷に相当すると思われる。康平二年(一〇五九)七月二〇日の播磨国東大寺領畠注進状(東大寺文書)に「西郡」の笠原かさはら畠がみえ、笠原は現加西市に位置し、西郡は加西郡をさすところから、平安時代後期には賀茂郡が賀茂東・賀茂西に分れ、そこから加東郡・加西郡が成立したと推定される。

〔中世〕

建久三年(一一九二)八月二五日の官宣旨案(浄土寺文書)に賀東郡内大部おおべ庄がみえる。大部庄は現小野市に比定されるので、中世の加東郡は現小野市と滝野町社町・東条町の地域からなっていたとみられる。文治四年(一一八八)五月一二日の後白河法皇院宣(「吾妻鏡」文治四年六月四日条)によると、梶原景時による福田ふくだ(のちの福田保、現小野市・社町)大部郷などの違乱が停止されている。大部庄は東大寺大勧進俊乗房重源により播磨別所として浄土じようど堂などが建立され、大規模な開墾が行われた。建久三年九月二日の播磨国留守所符案(早稲田大学図書館蔵)福田保がみえる。同保は大部庄と隣接しており、両者は東条川を境界にしていた。平氏没官領としては厚利あつとし(現東条町)があり、源頼朝の妹である一条能保妻の所領となり、その後九条家に相伝された(建長二年一一月日「九条道家初度惣処分状」九条家文書)。当郡の庄園はほかに滝野町地域に滝野庄穂積庄、社町地域に久米くめ庄などがあり、とくに東条川および東条谷流域には近江日吉社領東厚利庄や清水きよみず(現社町)吉田よしだ庄・吉田新庄、摂津住吉神社領吉井よしい庄など庄園が多い。これは東条谷には有馬ありま(現神戸市北区)を経て京都へ至る道があり、加古川に至る東条川と合せて、当郡地域が水陸交通路の要衝だったからである。

鎌倉時代後半、加東郡には悪党勢力が跋扈する。永仁三年(一二九五)正月日の大部庄百姓等重申状(東大寺文書)によると、志深しじみ(現三木市)雑掌垂水繁昌や楠木正成の父ともいわれる河内楠木入道が乱入し濫妨を行っている。元亨二年(一三二二)九月日の大部庄悪党交名注文案(同文書)には、安志あんじ(現安富町)林田はやしだ(現姫路市)垂井たるい(現小野市)平野ひらの(現神戸市西区)の悪党らおよび海賊張本人らの名前がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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