上与那原村(読み)ういーゆなばるむら

日本歴史地名大系 「上与那原村」の解説

上与那原村
ういーゆなばるむら

[現在地名]与那原上与那原うえよなばる

北から東にかけて与那原ゆなばる村、西は南風原ふえーばる間切与那覇ゆなふあ(現南風原町)。ウィーユナバル村・イーユナバル村とよぶ。絵図郷村帳に島添大里しましーうーざとう間切上与那原村とみえるが、琉球国高究帳には記載がなく、「琉球国由来記」に大里うーざとう間切上与那原村とみえる。高究帳では与那原村の高頭四八〇石余に含まれていると思われる。間切集成図には与那原村と一村のように描かれている。集落内には樋川や井の印が描かれるが、樋川や井の文字はみえない。海岸には「たつはな瀬」の岩がみえる。当村を領した地頭職は初め上与那原を称するがのちに仲村を名乗る。地頭職には康熙四四年(一七〇五)に向氏上与那原親雲上朝克がいる(「中山世譜」附巻)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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