日本歴史地名大系 「上之段村」の解説 上之段村うえのだんむら 鹿児島県:国分市上之段村[現在地名]国分市上之段敷根(しきね)村の東に位置し、村域は高橋(たかはし)川および検校(けんこう)川支流鎮守尾(ちんのお)川流域の台地上に展開する。近世には敷根郷に属した。文安三年(一四四六)一〇月二〇日、神重兼は本田出雲守から本物返の質券を取って知行していた曾小川(そおがわ)のうち「敷祢上檀」の行平田代一貫五〇〇文を亡父道光の忌日料田として弟子丸(でしまる)村楞厳(りようごん)寺に寄進している(「神重兼寄進状」旧記雑録)。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名がみえ、高四〇二石余、「三州御治世要覧」によると延享(一七四四―四八)頃の高五六六石余、村内に竪山大明神社・飯富(いいとみ)大明神社を祀る。「三国名勝図会」によると竪山大明神社は元暦元年(一一八四)熊谷但馬守宗直が「奥州桑井津」より虚空蔵菩薩を護持して当地に下り、同菩薩を神体として勧請した神社といい、寛文九年・宝暦一二年(一七六二)の各棟札の背にはこの勧請の経緯が記されていたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by