上八川郷
かみやかわごう
現吾北村の中央部から北東部にかけて、上八川川流域一帯を中世から近世にかけて上八川郷と称した。文和三年(一三五四)二月晦日付の三浦下野守寄進状案(吸江寺文書)に「土佐国吾川山庄内上谷川村事」として「右所領者道祐重代相伝之私領也、而為美作国西高田床内甘波村并安名替限永代所令寄進也、二親菩提及道祐没後追善不退転之様御計候者悦存候」とあり、この時吾川山庄内上八川村の地が吸江庵(現高知市の吸江寺)に寄進されたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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