日本歴史地名大系 「上内川村」の解説 上内川村かみうちかわむら 埼玉県:北葛飾郡吉川町上内川村[現在地名]吉川町上内川広島(ひろしま)村の北にあり、南東は下内川村。村の北東を流れる庄内古(しようないふる)川には金杉(かなすぎ)村(現松伏町)に渡る作場渡しがあった。中世は下内川とともに下河辺(しもこうべ)庄赤岩(あかいわ)郷の内で、応長元年(一三一一)一一月一二日の内河二郎大郎やすとう請文(金沢文庫文書)に「下かわへのミしやう下かた御りやうあかいわうちかわ」とみえ、当地の住人やすとうが三六歳の四郎太郎を質として称名(しようみよう)寺(現神奈川県横浜市金沢区)から二貫六〇〇文を借り、翌年八月に利子を付けて返済すること、人質が逃亡した場合は一〇貫文を支払うことなどを約束している。貞和四年(一三四八)九月二三日の赤岩内河年貢送進状(東京国立博物館所蔵文書)には「赤岩内河」とあり、称名寺に年貢米八石四斗を送っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by