経済学において利子の概念は伝統的に経済の生産過程から生み出される所得の分配と関連している。大まかにいって,資本主義経済における生産にかかわる主体として,(1)労働者,(2)土地や一部の機械設備,さらには特殊な専門知識,情報などを提供する主体,(3)資金を提供する主体,そして(4)企業の最終的所有者の四つに区分できよう。そして労働者は賃金を,機械設備等の提供者は賃貸料を,資金の提供者は利子を,最終的所有者は利潤を,それぞれ受け取るものとみなすことができる。ところで資金供給者が貸し付けた資金は企業の種々の設備購入に向けられ,それらの設備は生産の過程で収益をもたらすであろう。ここで重要な点は,利子はそのような生産要素に対する収益とは別のものだということである。生産要素が獲得する収益の一部が利子の形で資金提供者に支払われるのである。もちろん,同一の主体が上記の4分類のいくつかを同時に兼ねることは可能である。たとえば,企業所有者は同時に自分の企業への(実質的な)資金供給者となりうる。その場合には,その主体は利子と利潤との双方を同時に受け取ることになるであろう。N.W.シーニアー,D.リカード,J.S.ミルなどに代表される古典派経済学では,暗黙裏に企業家は資金供給者と同一視されていた。そのために利潤と利子という概念の区別があいまいにされる傾向があった。
ところで,以上のように利子を所得分配の一部分としてとらえる方法に対しては若干の批判がある。その代表的なものは20世紀初頭から半ばにかけてのアメリカにおける著名な経済学者I.フィッシャー,F.ナイトなどによる批判である。彼らは上に例示したような生産要素の分類はそもそもあいまいであり,むしろ経済学で生産にかかわるすべての要素が,労働であれ実物の資本財産であれ,それぞれ生産用役を生み出す〈資本〉と理解されるべきであると主張する。彼らによれば,それらの用役の対価である所得はすべて利子と理解される。そして,さまざまの資本の価値とそれが生み出す所得の流れを関係づけるものが利子率なのである。すなわち利子率が適当に決定されるならば,その利子率を用いて所得の流れを割り引き,〈資本化capitalize〉することができる。フィッシャーなどに従えば,この〈資本化〉された価値こそが,その所得の流れを生む資本なのである。このような定式化は,今日の新古典派経済学などにある程度の影響を及ぼしている。
執筆者:堀内 昭義
(1)古代 古代では一般に利,息利と表すが,出挙(すいこ)や月借銭(げつしやくせん)によるものが知られる。令の規定では稲粟出挙は利息は私出挙が1倍,公出挙は半倍を超えることは許されず,期間は1年とし,1年目の利息がすでについている元本に翌年以降利息をつけることや複利計算は禁止されていた。公出挙は令の規定どおり5割の利息で貸し出されていたが,3割に引き下げられた時期もあり,それぞれの利息を大利,小利とも称した。債務者が返済期限前に死亡した場合は負債は免除された。政府の指示で公出挙,私出挙の負債または利息が免除される年もあった。私出挙の利息は711年(和銅4)に5割を限度とするよう改められ,稲粟の私出挙は737年(天平9)に禁止された。銭財出挙の利息は公出挙,私出挙とも60日ごとに利息を取り,利率は8分の1を上限とし,480日を超えることがあっても利息は1倍を限度とされた。また60日未満で利息を取ることは違法とされた。しかし稲粟の私出挙をはじめ,数年にわたる貸付けや複利計算などの違法行為は行われていた。稲粟出挙と銭財出挙では令に規定する利率にかなりの差があるようにみえるが,稲粟出挙は春に種稲をうけ収穫後に種稲の増殖による得分の一部を足して返納する古い農業慣行に由来しており,公出挙の場合,春・夏のある時期に借りて収穫後に返済するまでの期間を1年とみなして一律に5割の利息を徴収するもので,実際に借りている期間を月単位で計算すると両者の実質的な利率の差は少ない。奈良時代における月借銭の契約の実例によると,利息は月別8分の1に近い1割3分ないし1割5分のものが多い。1割5分の例が多くなるのは日歩計算の便宜上,日歩5厘として算出されたことによるとみられる。月借銭の利率は銭財出挙の規定の2倍強に相当するが,ほとんどの契約が2ヵ月未満の短期融資であり,2ヵ月以上の債務に適用される規定とは別に設定されたものとみられる。
執筆者:舟尾 好正(2)中世 利子は中世においては〈利平(りひよう)〉という語が用いられている。平安期の終りに出現した専業の高利貸資本は,借上(かしあげ)と称して〈田地をもって質となし,あるいは数倍を限って契を成す〉といわれるように,質物を取り,数倍にもなる利子を徴していた。このような高利貸業者は鎌倉中期ころから土倉(どそう)と呼ばれるようになり,京都の土倉は室町期には大部分が山門の支配下にあった。1526年(大永6)の室町幕府法によれば,利平が加えられる借銭には徳政令が適用され,利平のつかない借銭には徳政令が適用されない。売懸(うりかけ)・買懸についても同様である。この方針は室町期を通じて変わっておらず,したがって利平がついたかどうかは,徳政令が発布されてからの処理に大きな差が生じるばかりでなく,利平を払ってきたかどうかによって年紀を経て請け出す場合にも差がついたのである。
利率については室町幕府は何度も規定しており,1459年(長禄3)の場合,絹布類,絵衫(さん)物,書籍,楽器,具足,家具,雑具は五文子で約月は12ヵ月,盆,香合,茶碗物,花瓶,香炉以下の金物と武具ならびに穀類は六文子で,約月は穀類が7ヵ月,武具が24ヵ月,その他は20ヵ月であった。五文子とは,100文につき1ヵ月5文の利子つまり月5分の利率である。これは相当に高利であり,これが基準であれば徳政一揆の目標になりその多発を招くことは目に見えている。幕府は文明(1469-87)ころ四文子としたが,土倉方の反対で五文子に改めている。利平は本銭(ほんせん)の倍を超えてはならないというのが〈古今法度〉に明らかなところであったが,貸手である銭主は年々利平を本銭に書き加えて借状を書きかえるという行為に及んだので,1466年(文正1)幕府は本銭と同額の利平とを弁済したならば,借状は棄破し,質券地を本主に返付するとの条項をたてている。
また,現実には,規定以上の高利を取り立てたり,利払いは質請け時との慣行を破って質請け以前に責め取ることも多かった。北野神社の一例では,和泉国坂本荘の年貢米を抵当に,326貫文を借り,利平は六文子となっていたから,利平が本銭と同額になるのは17ヵ月目であり,利率の大きさが知られる。《建内記》にも,毎月利子を徴されたうえで,3ヵ月目に流質(ながれじち)とされてしまった例が記されている。
執筆者:田端 泰子(3)近世 江戸時代には多く利足と呼ばれ,単に利と呼ぶこともあった。利子は〈世上金銀貸借利足之儀,是迄壱割半之処,以来金廿五両に付壱分之利足に引下げ……〉と年利,すなわち1ヵ年に支払われる利子総額の元金に対する割合,または元金25両に対する1月分の利子額をもって示すことが多かった。〈是迄壱割半之処〉とあるのは年利1割5分ということであり,〈廿五両に付壱分〉とは25両につき月金1分,すなわち100両につき月利金1両,換言すれば年利率1割2分ということである。年利1割半とは20両に月金1分ということである。利子は両替商,商人,大名,幕府,職人,農民の間で相互に結ばれた貸借関係において決定される。そのなかには年利2割を超す高利のものから,年賦償還,無利子等の諸条件を強制されたものもあった。江戸幕府は初め,年2割を利子の最高限度としたが,1736年(元文1)にはこれを1割5分に改めた。その後1842年(天保13)に至り,〈世上金銀貸借利足之儀,是迄壱割半之処,以来金廿五両に付壱分之利足に引下げ被仰出候間,諸国共右之割合を以無滞貸借致,相対に而右より高利金一切貸出申間敷候,尤右定之外,品々之名目を附,多分之雑費取候儀,決而致間敷候〉と令し,年利率1割2分をもって制限利率とし,礼金,筆墨料等の名目で余計に利子を取ることを禁じた。この制限は江戸時代末まで引き続き行われた。このように,幕府が利息制限を行った背景には,財政窮乏に苦しむ大名はもちろんのこと幕府にとっても,また商人,職人,農民にとっても,利貸商人からの借金銀が不可欠であったこと,高利の借金銀が領主経済や農民経済を圧迫するという事情があった。江戸時代の利子および利子率の決定については,こうした事情をふまえて,検討しなければならない。ちなみに,77年9月の旧利息制限法(太政官布告66号)では,100円未満は1ヵ年1割5分,100円以上1000円未満は1割2分,1000円以上は1割に制限されている。ところで,江戸時代の商人は両替商に金銭を預金したが,その預金には利子は支払われなかった。
→高利貸
執筆者:山口 徹
中国では春秋・戦国時代に氏族制が崩壊して5人家族程度の小経営単位が普及し,社会は少なくとも半自給となり,加えて先秦から秦・漢期に都市を中心に商業経済が広まった。秦から唐の王朝では商業は必要悪として統制を受けたが,両税法のもとで商業を財政上重んじた宋から明では商業をむしろ必要善として柔軟に対処した。儒教もその勤労観から商業,利貸しを敵視せず,孔子門弟の子貢は貨殖(高利貸)の名人であり,斉の孟嘗君(もうしようくん)も高利貸で富を築いた。漢代の高利貸は無制限で年10割の利息(倍償の息(そく))は日常的で,司馬遷も農工商の庶民の家で,100万文の元手を回転させて年間20万文の率でもうける工夫を説いている。こうした利貸しは政府も民間もさかんに行い,貸(たい),称貸(しようたい),出挙(すいきよ),挙息(きよそく)といい,担保のあるとき質挙(しちきよ)といった。唐,宋,元と商業の発達した時期には法制も整った。
利貸しは特約のないかぎり,元本と同種,同品の代替物で支払うことを要し,元本が銭,絹,米であれば利息も銭,絹,米であった。財物出挙(金銭等動産)と穀麦(こくばく)出挙が区別され,財物出挙では月利で複利を許さず,利率は唐で月6~4分,金・元の時代で月3分,また利息は元本の額を超えてはならず,元・明の時代はこれを〈一本一利(いつぽんいちり)〉といった。穀麦出挙の期間は1ヵ年に限られ,制限期間後の旧本に利息をつけることも,複利も許されなかった。宋代では穀物の利貸しの利子は年5分を限度とし,このころから農村の金融では春に借りて秋に返すのがきまりで,1熟(じゆく)を期間とした。しかし南宋の袁采は,質屋の利息は月利2~4分,借金月利3~5分,穀物1熟3~5割が常識であるのに,質屋で月利1割,江西で1貫文を貸して1年後に元利計2貫文,浙江の奥地で1秤の稲を貸して1熟で2秤と年利10割を取る者,1石の米を貸して1石8斗を取る者がいる,と実情を述べ,元代でも1期に5~10割の利を取り,不払いのとき元利を合わせて次年にまた利を取った例もある。
執筆者:斯波 義信
アラビア語ではリバーribā’と呼ばれ動詞rabā(増殖する)より派生し,〈増殖〉を原義とするが,転じて〈(資本主の)不当増殖〉〈高利〉〈利子〉を指す語である。ただし,イスラム法における利子の概念は西洋のそれよりも広い意味内容をもち,売手と買手の間における,給付に対する正当な反対給付ではなく,不労所得として得られる利益のすべてに適用される。コーラン2章275節,30章39節にみえるように,イスラム法における利子禁止法は,利子が売買とは異なって,みずから労せず他人の労苦の結晶である財富をむさぼるために,これを禁止している。最古のハディースにおいては,リバーを金銭にせよ食料品にせよ,要するに貸付けに対する利子という意味にもっぱら解釈したようであって,それ以外にわたるすべての解釈は後世における発達の成果である。コーランにみえる利子禁止に関する禁令はきわめて簡単なものであり,ハディースのそれはあいまいで,かつ前後矛盾しているところがある。イスラム法における利子禁止法は,これらの簡略で矛盾した教令を,現実の複雑な事例に即応させながら発達したものである。イスラムではスコラ学派と同じく,貸付けからの剰余利得(利子)と投下資本からの利得(資本利潤)とを厳密に弁別し,前者を厳しく非難するが,後者はまったく容認している。当事者の一方が他方の損失を前提として利益を得る利子(リバー)は拒否するが,資本を委託して得られる商業による利潤(ムガーバナ)は許容している。こうしてイスラム世界において特異の発達をみた持分資本(キラード),すなわち商業資本の貸主と借主が利潤の一定割り前を持分として取得する協業形態が生まれた。しかし利子禁止の経済倫理は,会社財産に対する否定的な見解となって現れる。出資者と稼働者の間に所得と労働の不平等が生じることを恐れるためである。このことがイスラム世界における商事会社の発達を阻害する要因となった。
執筆者:佐藤 圭四郎 19世紀になると利子の禁止は抵当権の観念および施行と衝突した。擬制的たてまえとして所有権移転や買戻しを前提としていた質権の概念は,すでに不動産質の諸形態の展開の中でほとんど抵当に近接する形式をさえ生み出してはいたが,ヨーロッパの法典に基づく混合裁判所はいとも簡単にシャリーア(イスラム法)のリバー禁止の規定を乗り越え,抵当権の思想を確立してしまった。ムハンマド・アブドゥフは近代の現実に直面するそのファトワーにおいて,ムスリムも利子や配当を受け取ることができる場合について認定した。現代の〈イスラム経済〉論において,利子の問題は,私的所有権やザカートと並んで最も重要な争点の一つである。それは銀行の利子生み活動をいかに是正するかといった金融業改革の実践を生み出している。そこでは,銀行と融資を受けた事業主とが開発プロジェクトのパートナーどうしとして利益を配分する方式(ムシャーラカ)や協同経営を行う方式(ムダーラバ),などが工夫されている。さらにザカートによる無利子の共済銀行なども現れ,もろもろのイスラム銀行の活動が開発されつつある。
執筆者:板垣 雄三
貸付けにともなう利子の取得は,すでに古代バビロニアにおいて普及しており,ギリシア・ローマにおいても一般的であった。しかし,貸付けはもっぱら消費貸借契約として把握されており,前5~前4世紀にアテナイの海上交易が発展し,さかんに海上貸付けが行われて年20~100%の利子が徴収されていた時代においても,利子は疑惑の眼で見られていた。アリストテレスは〈貨幣が貨幣を生むことは自然に反している〉という趣旨のことを述べている(《政治学》1巻10章)。古代イスラエル人の間では,厳しい徴利禁止の教えがあり,これが旧約聖書に反映している(《出エジプト記》22:25,《申命記》23:19)。この教説は,旧約聖書を共通の聖典とするユダヤ教徒,キリスト教徒,イスラム教徒に大きな影響を与えた。少なくとも信仰を同じくする者から利子を取り立てることには心理的に大きな抵抗が存在した。とくに中世のヨーロッパにおいてはスコラの教義によって利子の取得は禁じられた。利子付き貸付けは〈神に属する時間を売買するもの〉とみなされ,不法とされた。
しかし,商業の発展は信用の供与と利子の取得を必然的なものとした。そのためさまざまな形態の偽装的な利子取得が行われるようになった。貸借の証書にあらかじめ利子分を含めた金額を記載しておくというのが最も一般的であった。債権者が債務者の土地を担保とし,地代(レント)の形で利子を得る方法や,一度買った土地を当の相手に売るという偽装売買の方法もしばしば用いられた。後者の場合,土地の買値と売値の差が利子に相当することになる。また定められた期限に返済が行われなかったとして,損害補償金の名目で利子が取得されることもあった。このような方法のうちで商業活動にとって最も重要であったのは,為替(外国為替)であった。これは,現地の貨幣を受け取ったものが外地において外国貨幣で返済するものであり,利子は両通貨の換算率の中に含まれる。為替は送金のためにも,外国の市場へ商品を送るものが前もって両替商(銀行業者)から資金の貸付けを受けるためにも用いられた。神学者たちはこれを貨幣の交換とみて,利子付き貸付けではないとしたのである。
このように,教会の禁止にもかかわらず,現実には利子の取得は一般化していた。中世末期のイタリアでは一般に年7~15%程度の利子の取得が行われていた。ユダヤ教徒の場合は,異教徒たるキリスト教徒に貸付けを行う際にかぎり利子を公然と要求した。しかし,実質的に大規模な金融活動を行っていたのはイタリア商人をはじめとするキリスト教徒であった。以上のような徴利禁止の原則は,宗教改革によってくつがえされた。カルバンは利子取得を容認し,サルマシウスClaudius Salmasius(1588-1653)が徴利禁止の理論的基礎を批判した。イギリスではヘンリー8世が1545年に年10%以内の利子取得を認める法令を発布した。カトリック教会も19世紀前半に至って利子を容認するようになった。
→手形 →両替
執筆者:清水 廣一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
資金を一定期間貸し付けることに対する報酬。貸し付けた元金に対する利子の割合を利子率という。利子は利息、利子率は金利ともよばれる。
[原 司郎・北井 修]
利子や金利は資金の貸借に応じて成立するから貨幣的とみられがちであるが、実物的な側面にたって利子や金利の資源配分に果たす役割を重視した見方も古くから唱えられてきた。たとえば、ベーム・バベルク、K・ウィクセルやI・フィッシャーたちがこの立場にたっている。すなわち、利子は、家計にとっては将来の消費に備えて貯蓄する一種の時間選好に対する報酬であるとする。現在の消費を犠牲にするのであるから、これに対して報酬(利子)が支払われるが、この利子率が高ければ高いほど、家計は貯蓄水準を高めようとする。また、企業は現在の生産を減少させても、一定の設備を増加させて将来の生産性を高めようとする。この結果、利益(利潤)が得られるので、この設備を増加させるための資金に利子を支払おうとする。これを企業の投資行動とよぶが、企業は投資行動に基づいて一定の利潤を得ることとなる。市場で資金を借り入れて支払う金利よりも投資に対する利潤率が高ければ、企業は投資を行うこととなる。家計の時間選好に基づく貯蓄と企業の投資の水準を決めるのは、前者が供給、後者が需要という関係で成立する市場での金利の高さで、この金利は実物的な利子率とみなすことができる。
金利のもう一つの見方は貨幣的利子率であって、代表的な説明としてJ・M・ケインズの流動性選好説があげられる。すなわち、利子率は、人々が流動性という長所をもつ貨幣を手放して、債券のような利子を生む金融資産を保有することに対する報酬であると主張する。金利が高くなればなるほど、人々は貨幣をより多く手放して債券を保有しようとする。ケインズはこうして成立する貨幣利子率と資本の限界効率(設備投資を一単位増加させたときの期待収益率)の水準が一致するところで投資が決定されると主張した。
利子率の決定理論としては、貸付資金説があげられる。貸付資金説は、貸付資金市場の資金需給関係によって成立する金利と、貨幣市場において貨幣の需給関係によって成立する金利との一般均衡によって金利水準が決まると主張する。
なお、金利には名目金利と実質金利とがある。名目金利からインフレ率を差し引いたものが実質金利である。将来インフレ率が上昇すると市場が予想するときは、名目金利は上昇することとなる。
以上述べてきたように、利子率は金融市場における需要と供給によって決定されるが、金融市場は、そこで取引される金融資産の多様化に応じていくつもの市場に分かれている。金融資産の満期という観点から分類すると、長期金融市場(資本市場)と短期金融市場(貨幣市場)とに大別されるが、それぞれの市場はさらに取引される金融資産ごとに細分される。そしてそれぞれの市場で金利が成立するから、現実の市場金利も多様である。この各種の金利の間にある種の規則性が存在するのではないかという見方がされるようになり、これを金利構造または金利体系とよんでいる。
金利構造には、取引される金融資産の市場性の度合いやリスクの度合いによって各種金利の関係をとらえる見方もあるが、もっとも著名なものとして、金利の期間別構造がある。これは金融資産の満期に伴う各種金利の関係をみようとするもので、横軸に満期、縦軸に金利をとって、各種金利をつないだ利回り曲線yield curveが用いられる。利回り曲線は、流動性選好説によれば、長期資産のほうが流動性を手放す期間が長くなるので金利は高くなり、したがって右上がりの曲線となるが、将来の予想を重視する期待理論ではかならずしもそうはならない。すなわち、将来市場金利が上昇すると予想するときは、貸し手は短期資産の需要を強めるし、借り手は長期資産の供給を高める。そこで短期資産の価格は上昇し、利回りは低下するが、長期資産の価額は低下し、利回りは上昇する。この結果、短期資産の利回りが長期資産の利回りより低い右上がりの曲線となるが、市場が将来金利が下がると予想するときには反対に右下がりの曲線となる。
金利の決定を自由化して市場にゆだねるとこのようにさまざまのタイプの利回り曲線が描けるが、政府や中央銀行が金利を規制すると多く場合は右上がりの曲線となる。日本では、第二次世界大戦後コールレートを除いてほぼすべての金利を規制してきた。また、人為的な低金利政策がとられてきた。この結果、資金の配分は金利ではなく、金融機関などによる信用割当てで行われてきた。そこで1980年代に入ると、先進各国よりは後れたものの、一連の金利自由化措置がとられた。1994年(平成6)10月の流動性預金の金利自由化により、現在では当座預金(付利禁止)を除く、すべての預金金利が自由化されている。貸出金利についても、1989年1月から各銀行が資金調達コストをベースに金融環境などを総合的に判断して決定する短期プライムレートの新方法が導入された。長期プライムレートについても、1991年4月から短期プライムレートに連動する長期変動貸出金利が導入されており、市場における資金の需給関係によって金利が決まるマーケットが形成されている。
[原 司郎・北井 修]
貨幣は、資本主義生産のもとでは、貨幣それ自体の規定のほかに、自ら増殖して平均利潤を生む価値=資本という使用価値をもつ商品となる。利潤をもたらす能力をもつこの貨幣を貨幣所有者が他人に譲渡すれば、後者は機能資本家となり、資本として機能する貨幣の使用価値に対して生産された利潤の一部分を支払う。これを利子という。もし貨幣が譲渡されないならば、機能資本家は利潤を生産できず、貨幣所有はその所有者に利潤の特定部分である利子の取得を与えない。したがって利子は、譲渡によって利潤を生むという使用価値をもった資本としての商品の価格、資本の価格として現象する。そしてその分量を規定するのが利子率である。
[海道勝稔]
利子率は、貸付可能な貨幣資本に対する利子の比率を表す。利子は機能資本家の平均利潤の一部であるから、その最高限は平均利潤そのものであり、最低限は無限にゼロに近い。利子率はこの限界内で貸付可能な資本に対する借り手(機能資本家)と貸し手(貨幣資本家)の需要・供給の関係のみで決まり、それ以外に利子率を決定する内的法則というものはない。
産業資本、商業資本の平均利潤の現実の運動は、利子率の変動にその限界を与える以外には、利子率の変動とはなんの関係もない。つまり利子率は、担保の有無・種類・等級、貸付期間など借り手・貸し手の需要・供給に作用する要因によって相違し、時間的、場所的に絶えず変動する個々の市場利子率があるのみで、それがおのずから落ち着く自然利子率なるものはまったく存在しない。利潤率の個別的変動と違い、貸付可能資本に対する需要・供給が、総量として、相互に区別できない均一の形態として、また信用業の発達・集中に促進されて、同時大量的運動をとるからである。したがって利子率は、利潤率のような平均化傾向はもたず、はっきりと日々の経験のなかで直接にどの瞬間でも固定的につかまえられる大きさとして現れる。平均利子率、中位の利子率は算定されるのみであり、時間的には産業循環過程の利子率の変動の平均を算定し、場所的には資本が長期的に貸し出されるような利子率を算定することから得られるにすぎない。それは、生産過程・流通過程で貸付可能な資本の性格がなんの役割ももたないからである。利子率の決定は、需要・供給、習慣、法的伝統という偶然的、純経験的なものにすぎない。
利子率は、不況期には、利潤率とともに一般にきわめて低い。好況期には、機能資本の意欲で漸次上昇し、繁忙期には、産業資本の投機的拡大で騰貴し、過剰生産になるや、利潤率は資本の還流が失われて急落し貨幣資本供給は減少するのに対し、金融はかえって逼迫(ひっぱく)するため、利子率はいっそう高騰する。恐慌時には、貨幣資本供給は激減するが、機能資本は自己の債務のため貨幣資本を求め、利子率は最高に急騰する。このように、産業循環の局面を決める利潤率に対して利子率の変動は同一ではない。
[海道勝稔]
以上のように、利潤の一部を利子にするのは、資本家の貨幣資本家と機能資本家とへの社会的分裂によってだけである。したがって、借入れを行った機能資本家の平均利潤は、まず、貸し手の貨幣資本家に支払う利子と彼自身の分け前となる利子を超える超過分とに量的に分割される。
ついで、両者の質的分割が始まる。機能資本家が貨幣資本家に支払う利子は、貨幣資本家が生産過程・流通過程で活動していないにもかかわらず、資本所有のゆえにそれに備わったものとして貨幣資本家にもたらされる果実、すなわち資本所有が直接生んだ部分と観念される。これに対し、平均利潤のうち機能資本家に帰属する利子を超える超過分は、彼の生産過程・流通過程での資本機能、すなわち企業者としての能動的役割におのずから備わり、そこから生ずると観念され、その果実として現れる。こうして同一の源泉でありながら、本質的に異なる二つの源泉から生じたように相互自立的現象をとる。
この分裂が社会的に確定すると、借り入れない自己資本のもとでも、平均利潤を、一部は資本所有による利子とし、他は資本機能による企業者利得とする質的分割が生じ、そう観念されるようになる。
こうして貨幣資本家は、機能資本家と対立して賃労働とは対立しない。なぜなら、利子は資本の生産過程の現実の機能から生まれたにもかかわらず、そこから離れた資本所有の産物であるとされ、剰余労働の産物としては現れないからである。他方、企業者利得も賃労働とは対立せず、利子とのみ対立するように観念される。なぜなら、平均利潤が与えられていれば、企業者利得の大きさは、労働によって、規定されないで、利子の大きさによって規定されるからである。さらに企業者利得は、資本機能そのものの所産として、すなわち、機能資本家の指揮・監督の機能としての「労働」の所産として現れる。かくして企業者利得は、さらに「監督賃金」の表象をとる。資本機能が、剰余価値、不払い労働の取得という資本主義的性格にあるのに、いつの時代にもみられる指揮・監督という抽象的機能に置き換えられてしまうのである。
このようにして、利子と企業者利得への相互自立化による質的分割は、同じ剰余価値なのにそれを隠蔽(いんぺい)し、資本主義的生産の本質をまったく見失わさせ、利子もそう観念される。
[海道勝稔]
『信用理論研究会編『講座・信用理論体系』Ⅲ(1956・日本評論社)』▽『F・A・ルッツ著、城島国弘訳『利子論』(1962・巌松堂)』▽『阿達哲雄著『金利』(1975・金融財政事情研究会)』▽『原司郎編『テキストブック金融論』(1980・有斐閣)』▽『富塚良三他編『資本論体系6 利子・信用』(1985・有斐閣)』▽『岩田規久男著『テキストブック 金融入門』(2008・東洋経済新報社)』▽『K・マルクス著『資本論』第3巻第5篇第21~23章(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…資金の貸借の対価あるいは貸借される資金の使用料のことで,利子あるいは利息ともいう。また貸借される資金すなわち元金に対するその使用料の比率をいうこともある。…
…資本は第1に,個人にとって所得を得るための手段である資産の蓄積を意味し,第2に,社会にとって生産を行うための要件である実物の蓄積を意味する。日常の用法では,〈資本〉の語は元手,つまり貸付けを通じて利子を獲得するための元金,あるいは営業の成立に必要な資金を指すのが普通である。欧米語のcapital,Kapitalも元はこの意味に用いられていた。…
…第2巻は,第1編〈資本の姿態変換とその循環〉,第2編〈資本の回転〉,第3編〈社会的総資本の再生産と流通〉から成る。第3巻は,第1編〈剰余価値の利潤への転化と,剰余価値率の利潤率への転化〉,第2編〈利潤の平均利潤への転化〉,第3編〈利潤率の傾向的低下の法則〉,第4編〈商品資本と貨幣資本の,商品取扱資本と貨幣取扱資本への転化(商人資本)〉,第5編〈利子と企業者利得とへの利潤の分裂,利子生み資本〉,第6編〈超過利潤の地代への転化〉,第7編〈収入とその源泉〉から成る。
【第1巻の構成】
第1~2編で,商品→貨幣→資本のカテゴリーの展開を後づけ,とくに商品の章で〈労働の二重性〉に基づくマルクス特有の労働価値説と〈価値形態〉論とを提示し,やがて〈労働力の売買〉を媒介に第3編以下の生産過程の分析に入っていく。…
…借物返弁が行われるとき,貸主は証文を借主に返却するが,ときには交差する墨線をもって文面を毀損する習慣があった。借用については利子が付加されたが,利率は時代によって異なる。令制によれば60日ごとに元本の8分の1を利子とし,480日を借用期限とし,利子が元本の10割に達するをもって借用限度とした。…
…市場で取引される商品の生産のために支出される費用。原材料・燃料動力費,人件費,利子・地代・家賃,特許料などの生産に直接使用される商品・サービスへの支出と,商品の販売・管理,本社業務など生産活動を間接的に補助・促進する支出とがある。さらに,生産設備,非居住用建物,構築物,輸送運搬機器などの前払いした固定資本財を生産に使用することに対する費用相当分の回収(あるいは前払いした費用の当期割当分)として,減価償却費と呼ばれる費用も生産費に含められる。…
…農村の典当業は,昔から地主の兼業が多く,都市では官僚や商人の出資による合股(ごうこ)組織のものが多い。利子は法定では月利3%であったが,実際にははるかに高利の場合が多かったようである。質物に対する評価はふつう50%,入質期間は12ヵ月とされたが,これも実際にははるかに割高につく暴利を取ったようである。…
※「利子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新