普賢院(読み)ふけんいん

日本歴史地名大系 「普賢院」の解説

普賢院
ふけんいん

[現在地名]八戸市豊崎町 上永福寺

浅水あさみず川右岸の丘陵地に位置する。真言宗。宝照山と号し、本尊は愛染明王。藩政期末の南部領寺社鑑写(岩手県盛岡市中央公民館蔵)に「一寺領現米五石 永福寺衆徒五戸七崎村普賢院」とあり、寺社修験本末支配之記(内史略)盛岡もりおか(現岩手県盛岡市)永福えいふく寺自坊として「一普賢院 七崎 天保六年六月二十一日現米五石被下置之」とある。寺伝によれば承安元年(一一七一)の草創で、開山は行海とされる。一説によれば建仁年中(一二〇一―〇四)建立で、寛保元年(一七四一)快伝の中興ともいう(新撰陸奥国誌)


普賢院
ふげんいん

[現在地名]高野町高野山

普門ふもん院の南隣に位置する別格本山で、本尊は普賢菩薩。学侶方の一院で、康治二年(一一四三)創建開基は覚鑁の門下で、その葬送に役僧を勤めた力乗房と伝えるが、創建直後の久安五年(一一四九)に炎上、覚鑁の弟子五智房融源が再建。当初は普賢王ふげんおう院と称したが、のちに普賢院と改めた(文明五年諸院家帳、続風土記)。「諸院家析負輯」に室下は延命えんみよう院・福寿ふくじゆ院の二宇とあり、檀越には尼子家中の三刀谷家・三沢家、福島家中の大橋家、檀縁地は出雲・和泉・山城・伊賀・大和にあった。


普賢院
ふげんいん

[現在地名]旭町押井 寺之入

竜雲山と号し、天台宗。本尊十一面観世音菩薩。当初は二井にい寺と称したが、宝永年中(一七〇四―一一)の住職長海の私号が寺号に変わる。寺伝によると、白鳳期の創建という。源頼朝が諸堂宇を再建し、諸堂および一二僧坊などがあったが、天正の初め甲州武田家の臣山形昌景が焼却、まったく廃寺となったと伝える。その後、寛永一六年(一六三九)仁王不動禅の提唱者鈴木正三道人が再興。本尊は播州書写山の開山性空作と伝える。


普賢院
ふげんいん

[現在地名]岡山市吉備津

吉備津神社の御手洗池のほとりにあり、明治になるまでは同社社僧であった。高野山真言宗青竜山と号し、本尊は普賢延命菩薩。古くは金剛寺とも称した。宮内みやうち村内には貞享四年(一六八七)の時点で、当院とその末寺、花光坊(十輪院ともいう)栢之かやの(賀陽坊・寛滝院ともいう)・北之坊(東林院ともいう)・道勝寺・持泉寺(南之坊ともいう)の計六ヵ寺があった。


普賢院
ふけんいん

[現在地名]美浦村信太

金竜山観音寺と号し、天台宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば、元亨元年(一三二一)幸俊の開基。本尊は聖徳太子秦河勝につくらせたという伝えがある。本堂は昭和五三年(一九七八)再建され、堂内に元亨二年二月銘の青塔婆がある。


普賢院
ふげんいん

[現在地名]栃木市大宮町

如意輪によいりん寺の東方にある真言宗豊山派寺院。城密山普賢院金胎寺と号し、本尊は不動明王。「下野国誌」では本尊普賢菩薩とある。境内湧水は日光開山の祖勝道が修行をした行場と伝える。慶長一七年(一六一二)の本山派と当山派の役銭をめぐる公事についての関東八州真言宗諸寺連判留書案(醍醐寺文書)に当寺名が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「普賢院」の解説

普賢院

和歌山県伊都郡高野町にある寺院。高野山真言宗別格本山。大治年間(1126年~1131年)創建と伝わる。四脚門は国の重要文化財に指定されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android