上内神村(読み)かみうちがみむら

日本歴史地名大系 「上内神村」の解説

上内神村
かみうちがみむら

[現在地名]三田市上内神

中内神村の西に位置し、内神川中流域の標高二〇〇メートル前後の山に囲まれた丘陵地帯。井沢いさわ村から内神川沿いに美嚢みのう荒川あらかわ(現吉川町)への道が通る。慶長国絵図に上内神村・下内神村と並記され、両村の高一千三四四石余。正保郷帳では上内神村として高七六七石余。明治五年(一八七二)の戸数四九(下前家文書)かん神社は天徳二年(九五八)疫病が流行した際除疫のため勧請されたと伝える。天正八年(一五八〇)兵火により全焼、正徳元年(一七一一)に現社殿を再建し、祭祀の式法を定めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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